航空母艦 赤城

航空母艦 赤城 (昭和13年8月31日 全通甲板改装時)
全長269.2m/全幅31.32m/基準排水量36.500t/航続力8200浬/速力31.2ノット/兵装 20p砲6門、12p高角砲12門、25o機銃28挺/搭載航空機91機
今回は航空母艦赤城について調べてみました。
赤城は日本帝国海軍を代表する正規空母で、太平洋戦争時の日本海軍の快進撃を支えた空母として知らない人はいないでしょう。

天城級巡洋戦艦゛赤城゛(未完成)
全長257.37m/全幅32.26m/基準排水量41.200t/航続力8000浬/速力30.0ノット/兵装 45口径41p主砲10門、14p副砲16門、12p高角砲4門、61p魚雷発射管8門
元々、赤城は空母として建造された艦ではなく、列強の海軍力と対等に渡りあえるために、日本帝国海軍が計画した八八艦隊構想に乗取ったもので、八八とは、8隻の戦艦と8隻の巡洋戦艦を主軸とする艦隊構築構想で、その中の天城級巡洋戦艦の2番艦として建造された。本艦は13,2000馬力の高出力な機関による30ノットの快速と当時最強と言われる長門と同等の45口径41p砲を10門を搭載し、防御力も高い、本来、巡洋戦艦は強力な武装と速力を重点に置くために防御面は低くなりがちなのだが、本艦はそれ相応の防御力を持ち、高速戦艦という意味合いの強い、優秀な戦闘艦として誕生する予定だったが、世界は第一次世界大戦後のネーバルホリデー(海軍の休日)と言われる世界的軍縮ムードが、巡洋戦艦゛赤城゛の運命を変えることになる。

航空母艦 赤城 (竣工時)
全長261.2m/全幅29m/基準排水量26.900t/速力31ノット/兵装 20p砲10門、12p高角砲12門、/搭載航空機60機
第1次世界大戦終結後、列強海軍は第1次世界大戦のユトランド海戦の反省を糧として、軍備増強に躍起となっていたが、世界は未曾有の世界大戦による被害にヘトヘトになり、艦隊増強計画(日本の八八艦隊構想やアメリカのダニエルプラン)を実行すると国家予算の3分の1を使い、維持だけでも半分弱の国家予算を使うことになるため、国家の安全保障と経済的理由から、第1次世界大戦の戦勝国の列強海軍は1921年(大正10年)11月11日から翌年の1922年(大正11年)2月6日の間、米国のワシントンで条約締結会議を開催、これによりワシントン軍縮条約が締結され、戦艦は米、英5/日3/仏英1.75という比率になり、ワシントン海軍条約の世界的取り決めにより八八艦隊構想で建造予定の艦は、完成している艦はそのままで、計画中の艦は計画を破棄、建造途中の艦は解体処分になったが、天城クラスの天城と赤城は、巡洋戦艦から空母に改装されることが決まったのだが、同系艦の天城は、関東大震災により横須賀のドックで被害を受け修復不能になり、代わりにスクラップ予定だった゛加賀゛が空母に改装された。
三段甲板空母
上から3番目の図は、日本帝国海軍は、とてもユニークな三段甲板の空母を完成させた。この時、同時期に巡洋戦艦から空母に改装された加賀も同様に三段空母で、一番下の甲板からは大型の攻撃機クラスの発艦用で、二段目は戦闘機などの小型機の発艦用で、後方は格納庫になっていて、一番上の甲板は離発着両方を行なう甲板になっており、当初は艦橋は二段目の甲板の前方にあり、艦橋が二つに分かれていて艦橋の間から航空機が発艦するシステムになっていたが、後に゛使い難い゛という理由から、二つの艦橋がドッキングしたために2段目の甲板からは航空機が発艦出来なくなった。また当時の空母は、どこの国の空母も巡洋艦クラスの砲撃戦も考慮に入っていて、20p砲を10門を搭載していた。しかし、この当時は砲撃戦の考え方は列強の各国海軍も持っていて、米国のレキシントンは20.3p砲を8門搭載していたし、英国のフューリアスも46p砲1門/14p砲11門と空母としては、かなりの兵装と言える。航空機の大型化と高速化に多段甲板式空母は対応出来ず、赤城も昭和13年に一番上の図の全通甲板空母に改修された。

赤城艦上に並ぶ、零式艦上戦闘機
空母赤城は、太平洋戦争が始まると第1航空艦隊旗艦として、ハワイの真珠湾を皮切りに南方、ポートダーウィンやラバウル、インド洋まで進出し、セイロン沖海戦では、英海軍の巡洋艦ドーセントシャーと空母ハーミーズを沈め、まさに日本帝国海軍の象徴的空母であった。

ミッドウェー海戦で、米急降下爆撃機の攻撃を受ける赤城
こうして、日本帝国海軍の破竹の大進撃を支えた赤城だったが、1942年4月1日に日本初空襲を受けた時に帝国海軍は、この事に世論などの影響を強く受け、米空母艦隊撃滅を目的としたミッドウェー海戦を始めるが、碌な護衛もなしに機動艦隊が突出してしまい、それを発見した米機動艦隊の艦載機の攻撃を受ける。この時、敵空母発見の報を受け、基地攻撃用装備から艦船攻撃用の装備に転換中のために、赤城は艦内で艦載機が攻撃準備中で、格納庫内では航空燃料や爆弾、魚雷などが倉庫から出され散乱していた。米空母「エンタープライズ」のドーントレス急降下爆撃機の爆弾が、一発は中央部、1発は後部に命中、格納庫を直撃し、舵を破壊し、誘爆により大爆発を起こし、その他にも、その場にいた空母加賀、蒼龍も同じ運命をたどり、山口多聞の飛龍だけは奮戦したものの、結局、ミッドウェー海戦で、帝国海軍は4隻の空母を失う。赤城は海戦後、大破はしたものの元々は戦艦だったせいか、なかなか沈まず、第4駆逐隊の駆逐艦によって、雷撃処分を受けて、沈没。それは帝国海軍の快進撃の終焉といえる出来事であり、慢性的な空母不足と多くのベテランの搭乗員を失い、序々に帝国海軍の弱体化に繫がり、特攻攻撃を主軸とするほどに追い詰められ、終戦を迎えることになっていく。

1