すごい雪ですよーっ!予想に寄ればこのままフリージング・レインに変わるとか。明日も家から出られそうにないです。学校も、付近一帯すべて休校。でもオットはちゃんと会社に行きました。実は、先日の大寒波と今回のスノーストームの間に数日、車の窓を開けて走るほど暖かい日が数日続いたのですが、オットは早速自転車通勤を再開していました。でも、これでまたしばらくは自転車凍結ですね。

裏庭のモミジバフウ2号。今年は当たり年で、庭中がこのイガイガだらけ
「雪でちよー。」
仕事もキャンセルになったから、英語の勉強でもしましょうかね。
実を言うと、私の2009年の抱負は、ズバリ
英語でした。←すでに過去形
すでに、何度も何度も何度も何度も書いているように、
英語圏で暮らせば自然に英語が話せるようになる なんてのは
幻想です。
ついでに言えば、「聞き流すだけで自然に口から英語が出るようになる教材」なんてのも誇大広告でしょうね。
さらにに主張させていただくなら、
子どもは外国に行けば苦労せずにすぐ現地語を覚えるなんてのも
真っ赤な大間違いですよ。
あ、つい力が入っちゃった。(このあたりのことに興味がある方は、旧館の過去log
「子どもたちが英語を習得するまで」の連載をどうぞ)
こんな私は在米生活も8年目。困ったモンです。苦しいながら言い訳をするならば、とにかく英語の環境が少なすぎる。家の中は100%日本語だし、家の外に出るわずかな用事のうち、仕事そのものが日本語を教えること。クラスの中ではできるかぎり英語を使わず、使ったとしても、最低限、日本語のヒントや注意として使うくらいなので、普通に英語を使うよりもさらにまずい、いわゆるfragmentばかり。あとの用事は、近所、コドモ関係、バレエ関係、ピアノ関係、ボランティア関係、そのどれもが、ほとんど「聞いていればいい」話す機会のないものばかりなんですね。もちろん必要なことや連絡くらいはするけれど、つっこんで深い話をする機会なんてほとんどない。大体相手がみんなおしゃべりだし、頷いていれば済んじゃうんですよ。
英語のクラスではさすがに話をするけれど、先生は日本人の英語にすっかり慣れたプロだから、間違った言い回しをしても通じてしまうわけです、これが。実はこの「わかってくれる」のがすごく影響する。語学に限らずだけど、何でも心理的な壁って本人が意識するよりもずっと大きな物だから、この先生が「わかってくれる」ことで、こちらもリラックスするのか、言葉も比較的スムースに出るわけです。
ところが、実生活のなかで、実際に複雑なことを話して、交渉して、情報を引き出して、解決しなければならない場面というのは、大抵トラブルシューティング!すでに焦っている上に、相手が外国人の英語に慣れていない地元人、しかも急いでいたり、仕事をめんどくさがっているような状況がほとんどときてはもう、なにをかいわんや。もともと7割くらいしかわからない、5割くらいしか言えない自分の英語のレベルが、理解4割、発話2割くらいに落ち込んでしまう。
ごく簡単な単語でも、文の中にスッと出てこない。完全に脳がブロックされてしまう感じ。そうなると自分に焦って、たとえば「いや、大きい犬の方は大人しくて、実はこれをやらかしたのは小さいけれど暴れん坊のシェルティなんです」と言いたいのに「大きい犬、良い子アルよ、しかしながら、このドア、小さい犬アルね、シェルティ、乱暴ネ。ドアドアドア、壊れたこと、アルよ。小さい犬、絶望的デースネ。」などと、自分でも「一体私は何を話しているんだ」と真っ青になってしまうようなことを口走ったりしてしまうわけで…
とにかく日本語と語順が違う、というのが最大の問題で、まず話し出す前に英語の語順をしっかり考えてから始めないと、自分も相手も大混乱に陥ってしまうわけです。
「見積もりをA社とB社に頼んだ結果、A社の見積額は、ある条件下では600ドル−1200ドル、B社の方はその条件を特に提示してくることなく800ドルだった。C社に見積もりを新しく頼む場合、どのように状況を説明し、有利な見積額を引き出したらいいか」
というような状況にあるとき。こうして文字にしてみれば、何がポイントなのか、どこを明確にしたらいいか、がまだわかってくるんだけど、渦中にいると、とてもじゃないけどそんな余裕はなくて、どこから始めたらいいのかわからず、だらだらと時系列でしどろもどろ説明してしまい、相手を疲れさせ飽きさせたあげく、突然「見積もり」という単語を忘れてしまったり、「条件の中身」の説明中、出てくる専門用語を間違えたり、発音が悪くて通じなかったり…ということを繰り返しているうちに、絶望的な状況に追い込まれるわけです。交渉どころか、結局相手の都合の良いように説明されて、「ああそうですか」って言うしかなくなっちゃう。 あうあうあう
いい加減、進歩しなくちゃな、と思います。
効果があると思ったことは、すごくすごく弱いペースではいろいろやっているけれど、どれもこれも緩すぎる。
ESLの宿題だって、もっと真剣に取り組めば身になるだろうに、だらだらと思いつきで仕上げてしまうし、雑誌だって新聞だってテレビだって、英語環境はあふれているのに、ついネットに向かって日本語に耽溺してしまう。グラマーの本だって、1日1ページ復習すればいいのに、それもさぼってしまう。ドラマも、ついつい英語の勉強よりもストーリーを楽しむ方を優先してキャプション付けちゃう。挙げ句の果てにネットで日本語のエピソードガイドまで読んじゃう。ダメダメです。あー、自分で書いていて耳が痛すぎる。
日本に興味のあるアメリカ人の知人が、「こんな記事あるよ、読んでみる?」と貸してくれたNew Yorkerも、すでに3週間ばかり3ページ目で挫折したまま。とりあえず、ここから始めてみるか。

日本の「ケイタイ小説」についての記事。「おもしろい記事だったので、(日本人として)感想を聞かせて。」と言われて預かったのはいつのことだったか…(遠い目)
確かにおもしろいんだけど、活字の小ささと記事の長さにめげてしまう。英語を読むストレスはなんと言っても私の読む遅さ。日本語なら、同じ時間で100倍くらい情報が入るのに…と思うとツラいのです。
今年の抱負、いきなり挫折してますね。
「エーゴぐらい克服しろよ、オマエ。オレなんかもう食器に触れるようになったんだぞ。」

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