『指数・対数のはなし――異世界数学への旅案内――[新装版]』
森 毅(著)
2006年
東京図書
☆☆☆☆☆
数学読み物。1988年に『数学教室』に1年間連載されていた『指数世界への旅』をまとめた本(1989年出版)の新装版。著者の佇まいを髣髴とさせる、妙なトホホ感が全編に漂っている(あ、それを言うなら「飄々感」か!)。「道草コラム」というのがときどき挿入されているのだが、本書全体が道草コラムみたいなものである(笑)。
ある意味、人を選ぶ本だと思う。難解な本だという意味ではない。表紙に「13歳から95歳まで楽しめる数学の風景」と書かれているほどで、文章はまるで口述筆記である(本当に口述筆記なのかも…)。では、何故人を選ぶかというと、まず、実用的な本ではないから。例えば、高校生や、高校数学を手っ取り早く思い出したいサラリーマンが、ザッと読んで理解できるように指数法則等の要点をまとめた本ではない。それから、数学に全く興味のない人が読んで、「指数や対数というものは面白いものだな」と思うかというと、その可能性も小さいと思う。数学嫌いに無理やり読ませて数学好きに変身させるのに適した本ではない。さらに、一般向けに書かれた本だから、専門家が読んで面白い本ではないのではないかと思う。しかし、それにも関わらず、読む人が読めばとても面白い本だと思うのだ。
この本を楽しむことができるのは、指数や対数というものについてほとんど何も知らず、今すぐ知る必要もないが、何故か知りたいと思った人、なのではないかと思う。そういう読者は世の中全体から見ればほんの一握りなのではないかと思ったので、敢えて「人を選ぶ本」という表現をしてみた。しかし、そういう読者にとっては、まさに読むべき本、ベストに近い本ではないかと思う。
私自身は、幸い高校文系数学で挫折していたので指数・対数についてはかなりアヤフヤだった(存在は知っていたが、「何故こんな概念があるのだろう?」「これが何に役立つのだろう?」と不思議に思っていた)。だけれども、最近異なる様々な分野の本を読んでいるうちに、どの分野の本にも対数という概念が登場することに気づき始めていた。また、そういうわけで、指数・対数を理解できれば頭の中が多少スッキリするのではないかという気はしていたが、何が何でも理解しなければいけないというわけでもなかった。たまたま本書を楽しめる条件が揃っていたのだ。本屋で偶然本書を見かけ(もちろん、条件が揃っていた私が、数学の新刊コーナーという滅多に近寄らない本棚にあった本書に気づいたのは、偶然というより必然である)、大いに楽しんで読んだ。読んだ、というか読んでいる。まだ読み終わっていないのだ。
CGのキーワードである「フラクタクル」「トポロジカル」、シャノンの「情報量」、20人も集まれば同月同日生まれがいても珍しくないことを示す「確率論」、シラミ潰し作戦を無効にする「組合せ爆発」、「音階」に対応する周波数が等差的ではなく等比的であること、音の大きさやカレーの辛さの主観量(心理学でいう「フェヒナーの法則」)、経済学の「コブ・ダグラス型関数」、S字型カーブの「ロジスティック曲線」、「博士の愛した数式」e
πi + 1 = 0。最近気になっていた事柄を重ね合わせたところに指数・対数という概念があったのだ。それはそのはずで、この世界は乗法的にできあがっているのに、我々の頭は加法的に考えるクセがある(これを著者は「直線的偏見」と呼んでいる)。乗法世界と加法世界の対応をつけるということが、すなわち指数と対数の変換を行う、ということなのである。
著者に言わせれば、数学の世界は、我々の生活している現実の世界とつながりつつも異なる異質世界であり、言わばSFの世界である。SFの世界を体験することによって現実世界の新たな側面が見えてくることがあるのと同じように、数学の世界を通して現実世界への新たな視点を獲得できる場合がある。だから、それを楽しんでみよ、という。例えば、死の世界は生の世界に生きている我々にとっては異質な世界だが、しかし生の世界と密接につながっており、死について考えることは生について考えることでもある。指数世界は数学の世界の中でも、現実世界に直結する世界だという(著者は、この世界が指数的変化で満ち溢れていることを繰り返し強調する。「logなんて社会に出た後で何の役にも立たないものを習ったってしょうがない」という高校生の投書について、「実はこれは社会の方がおかしいのであって、logを使った方が便利だ」と楽しく話を引っくり返す。あぁ愉快愉快)。だから、指数世界を旅して異国情緒を楽しんでみようというのが本書の趣旨なのだ。アラブ世界を旅するのにアラビア語ができなければ楽しめないというわけではない。それと同じように、指数世界を必ずしも数学的に理解しなくても、指数世界を旅することはできるし、そうして数のイメージを広げ、豊かな数の世界を少しでも感じることができたら楽しいじゃないか、そういう本なのだ。
本文約190ページ。

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