『式について』
志賀 浩二(著)
2000年
朝倉書店
☆☆☆☆☆
大人向けの数学再入門「<生涯学習>はじめからの数学」シリーズの第2巻。このシリーズは、『
数について』『式について』『関数について』『三角関数について』『対数関数、指数関数について』『面積と積分について』の全6巻が刊行予定だったようだが、2002年に第3巻が刊行されて以来刊行が途絶えているようだ。第1〜3巻も既に絶版になっている模様。
第1巻・第2巻とも、もの凄く良い本だと思うので、まことに残念(2012年12月12日追記:その後復刊されたようだ。また、2011年に「普及版」が刊行された。ただし、やはり第1〜3巻のみ)。
本書は、
第1巻同様、一般向けに行われた講義を1冊の本にまとめたもので、「文字と式」「二項定理」「数学的帰納法」「恒等式と方程式」「2次方程式」「多項式と方程式」「連立方程式」「不等式」「分数式と無理式」「式から関数へ」の全10章構成。初めのうちは易しいが、最後の方にはそれなりに難しい概念的な話も出てくる。お手軽な数学読本ではなく、自分で考えながら読む本。各章に練習問題があり、巻末に解答が掲載されている。
一口に「数学を学ぶ」と言っても幾通りかの意味があると思う。例えば、中学校や高校で「数学を習う」という意味、大学等で研究者として「数学の研究を行う」という意味、それから、「数学的発想法を身につける」という意味、等々。僕が一般向けに書かれた数学の本を読むのは、小中高時代に「何でそういうことになるんだろう」と疑問に思ったままになっていたところを納得するために、その背後にある論理を理解したい、と思っているからである。
そういう人間にとって、本書のような本はまさにうってつけ。本書は、数学における「式」というものやその扱いについて解説することを通して、数学的なモノの見方や考え方というものを示そうとしている。例えば「数学的帰納法とは証明の単なる形式ではなくて、その根底にあるのは、ある段階から次の段階に移るときの規則性に注目する発見の原理なのです。」なんて記述を見つけては、なるほどと何度も膝を打った。
大人になって数学の世界に再入門するのにも何通りかのパターンがあるのだろうと思う。例えば、必要に迫られて(仕方なく)始める再入門と、必要もないのに(楽しみで)始める再入門がありそうだ。ある種の数学的手法をツールとして使いこなせるようになるための数学の勉強というのは前者だろうと思う。そういう人のための「わかりやすい数学の本」はここ10年ほどで飛躍的に増えた。そこでは、手を変え品を変え、ある種の演算にまつわる法則を効率的に教え込もうとしている。例えば、データ分析者を対象に、多変量解析の基礎としての線形代数について解説した本は、行列式の計算の仕方を手取り足取り教えてくれる。
しかしどうも、このテの本を読んでも何の話をしているのかさっぱりわからない。行列式の計算の仕方はわかったけれど、さて結局行列式って何なの?という疑問が残るだけなのだ。もしも、行列式という概念を理解する必要はなくて計算の仕方だけがわかればいいということなら、そもそも統計的手法の数学的基礎を学ぶ必要なんてない。現在、実際のデータ分析において行列式を手計算することなんてないのだから。
これらの本の(ある意味)対極に位置すると思われる本書を読んで驚いたのは、著者の手にかかると、行列式について何の疑問もわかなかったことだ。連立方程式の解の公式を明らかにする過程で、ごく自然に定義された。行列式ってこれだけのことだったのか、と目からウロコ。何で他の本にはこんな簡単なことが書かれていないのだろう(最初から逆行列とのカラミで取り上げる本が多いように思う)。本書は、数学を「学ばなければならない」人のための本ではなく、趣味で学びたい人のための本だ。そういう本の方が結果として理解しやすいというのは皮肉な話だ。
かつて数学嫌いの知人が苦々しく言った言葉を忘れられない。「数学がいったい何の役に立つのか。因数分解の公式を実生活で使ったことなんて1度もない。」僕は彼女に同意できなかったけれど、反論することもできなかった。今ならこう言うだろう。因数分解の公式を単なる計算規則(あるいは、式の書き換え規則)と考えるのであれば、それを丸暗記することには、ごく稀に暗算に利用することができることくらいしかメリットはないかもしれない。しかし、文字式を扱うことによって、数そのものを扱っていたときには見えなかった数的構造が見えてくる場合がある。因数分解の公式を学ぶ意義は、具体性の背後に隠れた普遍性を見抜く視点を身につけること、あるいは、具体性の奥には普遍性が潜んでいるという発想を身につけることにある。
高校1年のときに数Tで挫折して以来、数学ができないことにコンプレックスをもっていて、大人向けの数学再入門や文系学生のためのやり直し数学みたいな本をついつい手にとってしまう。最近気づいてきたのは、そのテの本の面白さを決定づけるのは、どんなトピックが取り上げられているかではなくて(取り上げられているトピックはだいたい同じである)、各トピックをどのように相互に関連づけているかだ、ということだ。そこに著者の数学的世界への造詣の深さが表れる。例えば、パスカルの三角形を何と関連づけるか。無限、素数、数列、フラクタクル、分配法則、2項定理、順列・組合せ…、何とだって関連づけられる。見慣れていると思っていた概念に思わぬ方向から光を当て、これまで知らずにいた新たな側面を見せてくれるのが、良い本というもの。数学であれ何であれ、そういう本を読みたい。
本文180ページ程度。

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