『クックルとパックルの大冒険――マッコリ号に乗って統計解析の謎を解く――』
石村 貞夫・盧 志和(著)
2007年
共立出版
☆
会話体の文章とイラストによる統計学入門。統計学の「初歩の初歩」を扱った本なのだが、これはいったい何だ…?と思うほどのダメ本。「まえがき」に「この本を出版するという大冒険を決断していただいた編集部に感謝」みたいなことが書かれていたが、確かによくこんな本を出版したものだと思う。
2人の少年クックルとパックルが、ハラボじいちゃんの命により、マッコリ号に乗り込んで統計学の海へ冒険に出かける…。最近、韓国語の勉強をしているものだから思わず手に取ってしまったのだが、信じ難いほど内容のない、底の浅い本だった。初等統計学の全体像も見えなければ、個々の統計量や検定法についての概念的理解もできない、という悪書。「変な本を見つけたよ」という話の種にはなるかもしれないが…。(ちなみに、「クッ(
국)」はスープ、「パッ(
밥)」はご飯、混ぜて食べれば「クッパ(
국밥)」、「ハラボジ(
할아버지)」は父方の祖父、「マッコ
ルリ(
막걸리)」はにごり酒。)
第1著者の石村氏は、ここ十数年の間に大量に出版されたお手軽統計本ブームの中心人物の1人。彼のほとんどの本がそうであるように、本書でも、最初から細部にコダワッていては統計学の全体像がかえって見えなくなってしまうので、とにかく楽しくお気軽に統計学の荒波を乗り切ってしまおう、という態度が奨励されている。僕自身、世の中ではもっと統計学に基づいた推論が用いられるべきだと思っているし、それにも関わらず文系大学生の多くが統計学の初歩の初歩の段階で脱落していく現状を考えると、著者の狙いそのものを全く評価しないわけではないのだが、そのための方法論が間違っているのではないかと思う。せっかくマッコリ号に乗ったのに「統計解析の謎」が何1つ解かれていないのだ。
本文は全てキャラクター同士の会話、イラストを多用し、感覚でつかめる、というのが本書のウリのようだが、大切なのは、取っ付き易い紙面を作ることではなく、概念をわかり易く伝えることだろう。ハラボじいちゃん(石村氏の分身!?)のイラストによって、いったい何を「感覚的につかめる」ようになるというのだろう。イラストは、言葉による表現よりもグラフィカルに表現した方が理解し易くなるような概念を説明することに用いるべきだ。文系読者が統計学の初歩でつまづいてしまうのは、単に教科書が「取っ付きにくい」せいではないのだ。
統計学の手法を利用する立場に立って考えると、統計学とは、手持ちのデータの特徴を適切な指標によって表現する技術、ということになると思う(もちろん、そのことから、統計学とは、どのようなデータを集めるべきかについての指針である、とも言える)。統計学の学習において重要なのは、どんな指標を作り出せばデータの特徴を数値的に表現できるかを考えることである。手持ちのデータのどのような特徴を、どのようなアイデアに基づいて抽出しているのか、そのためにどのような計算をしているのか、それを概念的に理解することが最も重要なことだ。「シグマ記号お断り」というような大学生が存在することは事実だが、大事なのは、数式を取り除くことでもなく、「シグマ記号なんて怖くないよ」と単に励ますことでもなく、数式の意味するところ(つまり、数式によって表現されている統計学上の概念)をあの手この手を使って理解させることだろう(これは「数式を理解させることが大事」という意味ではなく、あとで数式を見たときに「なるほど、確かにこういう計算によって算出された数値は、あの概念そのものだ」と思えるように、徹底的に概念の説明をしろ、ということ。そのためには、イラストでも何でも使えるものは何でも使うべきだろう)。従来の「文系大学生がそっぽを向くつまらない教科書」から概念的な説明を省き、意味のないイラストを追加しただけの本なら、従来の本の方がまだマシである。
近年、統計学の本に限らず、単に概念の説明を放棄しただけのようなお手軽本が巷に溢れている。そのような本を「文系読者にもわかる」などと謳われては、当の文系読者としては甚だ心外なばかりだ(この本は特に「文系読者のための」と銘打たれているわけではないが)。
本文215ページ程度。

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