『爆笑問題のニッポンの教養 人間は動物である。ただし…… 社会心理学』
太田 光・田中 裕二・山岸 俊男(著)
2007年
講談社
☆☆☆
NHK教育テレビで放送されている『爆笑問題のニッポンの教養』から生まれた企画本。第4回放送の「人間は動物である。ただし……」の内容を書籍化したもの。本屋の新書新刊コーナーで見かけて、帯に書かれていた「いい人が集まっても、いい社会はできません。」という言葉にシビれてつい買ってしまった。これ、山岸の基本的な発想を実にうまくまとめた一言である。これは買っちゃうよ。
放送された番組の流れに沿って、3人の対談が再現されている。番組ではカットされていたシーンも分量としてはかなり含まれており(放送されたシーンの2倍以上?)、僕としてはテレビよりも面白かった。文字も大きいのでサッと読める。
放送では、なかなか爆笑問題の2人と山岸との会話が噛み合わず、それにも関わらず太田の言葉尻をつかまえて強引に言いたいことをズバズバ言っていく山岸の力技に感心したのだが、この本を読むと最初から最後まで全く話が噛み合っていなかったわけではないことがわかる。僕は太田の奇天烈な頭脳を高く評価しているので、放送では対談が不発に終わっていて残念に思っていたのだが(唯一ビックリしたのは、権力の話をしているうちに、彼が自力で社会学的社会的交換理論における「等依存原理」に辿り着いてしまったこと)、随所で彼らしい理解力のキラメキが見て取れる(的外れなことも相当言っているが)。田中も、番組ではあまりしゃべっていないように見えたが、意外と話を理解している。
山岸の話も、放送された内容で唯一面白かったのは、小学生時代、教室の掃除を自ら進んでするヤツなんかいなかった、という話くらいで(これはこれで、彼の普段の語り口の魅力が最大限に発揮されていて、僕にとっては泣きそうなほど面白かったのだが)、やはり30分程度の番組ではこれが精一杯なのだろうと思っていたのだが、本では対談の流れも切断されていないし、カットされた話の中にもいくつか興味深い話題があり、もう少し面白く読むことができた。
本書の「感想(あとがきにかえて)」で、太田が「なかなかおもしろかったけど、じゃ、あの先生、これからなにをするんだろうというと、さっぱりわからない。」と言っている。これ、実にいい指摘だと思う。「これから」どころか「今」だって、実際のところ何をしたいのか、本書を読んだだけではよくわからない。よくわからないのは、彼が具体的な「モノ」として成果物を見せることのできるような研究をしているわけではないからなのだが(山岸の「感想」でもそう答えられている)、では、いったいどんな壮大な謎を解こうとしているのかが、放送でも本書でも深く語られていないのである。
山岸がやろうとしていることは、社会の価値観に揺さぶりをかけること、だろうと思う。最終的には、学問の世界を越えて、世間一般の人々のもっている信念体系にまで影響を与えることを目論んでいると思う。そういう意味では、冒頭に挙げた「いい人が集まっても、いい社会はできません。」が一番面白い。いい人が集まれば、いい社会ができるのは当然、と多くの人は思っているだろうし、いい社会ができないのは悪い人のせいにされてしまうのが常である。ここが一番面白いところなのだ。しかし、対談は山岸による「動物という点から人間の心と社会のありかたっていうのを見直してみよう」という言葉から始まる。確かに、彼が学問としてやっていることを言葉で表そうとするとまさにこんな風になるのだろうけれど、本当にインパクトがあるのはそちらではないのだ。それにこれ、一般向けに語るにしては、いくらでも誤解できる微妙な表現でもある。
まず、「動物という点から」という言葉の意味するところが爆笑問題の2人には最後まで正確に理解されていないように思うし、途中で出てくる「適応」や「均衡」の概念もちょっとわかりづらい。山岸の発言で面白いのは「社会のありかた」の方なのに、心理学の先生の研究対象は「人間の心」の方だとほとんどの読者は思い込んでいるだろう(注意深く読めば、彼は心の話をほとんどしていないことがわかる)。その「人間の心」だって、山岸が思い浮かべているものと爆笑問題の2人が思い浮かべているものの間には相当な隔たりがある。社会心理学だの、社会的ジレンマだの、信頼と安心だの、見張りあうしくみだの、均衡の移行だの、適応論的アプローチだの、いろいろな概念が登場するが、「人間だって動物だ。それなのに人間は社会を作って暮らしている。どうしてそんなことができるんだろう。」という問いが本当に面白い問いであることを伝えることにあまり役立っていないように思う。むしろ、そのことの理解を妨げているようにすら見える。
「社会は個人の総和以上のものである」というデュルケムの言葉はいまだに繰り返し提示される意味があると思う。何故なら、集団や社会、国家というものを個人の単純なアグリゲーションに過ぎないと考える強烈なものの見方が広く世の中に存在しているように思うし、その悪癖を打ち破る試みもほとんどなされていないように思うのだ。だからこそ僕は「いい人が集まっても、いい社会はできません。」という言葉にシビれてしまうし、それについてもっと語って欲しいと思うのだ。
本文140ページ程度。

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