『ハチミツとクローバー』
羽海野 チカ
連載期間:2000年〜2006年
集英社
☆☆
映画『
ハチミツとクローバー』(高田雅博 監督 2006年)を(蒼井優目当てで)観て、原作漫画との世界観や雰囲気の違いを知りたくなって読んでみた。TVアニメ版やTVドラマ版は観ていない。
東京の美術大学(多摩美術大学がモデルらしい)を舞台にした大学生たちの青春群像劇。ボロアパートで貧乏暮らしをする、竹本(建築科2年)・真山(建築科4年)・森田(彫刻科6年 映画では8年)の男子学生3人組を中心に、彼らが慕う花本先生(30代前半の男性)、花本先生のハトコにあたる天才少女はぐ(油彩科1年 1巻では絵を描かずに彫塑をやっているが…)、更に、真山に恋する美女・あゆ(陶芸科4年 映画では3年だったと思う)を加えた、6人のハチャメチャ(…、死語!?)な大学生活を描く。
1巻を読み始めて、
映画とあまりにも雰囲気が違っていて驚いた。1巻はほとんどギャグ漫画のノリ。連載途中で掲載誌が2度もかわった(宝島社「CUTiEcomic」→集英社「ヤングユー」→集英社「コーラス」)ことが関係しているのかもしれないが、全10巻の部分部分によって、絵のタッチだけでなく物語のテーマや雰囲気もかなり異なる。最後まで読んだ上で考えてみれば、
映画は原作の世界を(原作より)上手にまとめていると思う。
一言で言って、未熟な漫画。ただし、それが本作の場合、上手い具合に魅力に転じているのだと思う。作者は比較的遅く漫画家デビューした人だそうで、これが初の連載作品。もともとは真山を主人公とした短期連載の予定だったそうだ。通して読むと、1巻だけやや毛色が異なるのはそのためか(1巻は1話読み切りの雰囲気が強い上に、笑いのテンションが一貫して高い)。最終的には中心的な登場人物となる「はぐ」も、1〜2巻では笑いの1要素として用いられているに過ぎない(そもそも、ほとんど人間として描かれていない)と思う。
続けて読むと明らかなのだが、どんどん絵が上手くなっていく。絵だけでなく、漫画としての質が全体的に上がっていっている(だんだんアシスタントの数も増えていったようだし)。例えば、重要なシーンで用いられている「モノローグ」なんて、最初はもう全然ダメダメだったのが、最後の方ではかなりマシになってきている。実はストーリーの骨格は3〜4巻で出来上がっており、8巻でエンディングに向けて大きく動き出すまでの中間部(5〜8巻)は、ひたすらあゆの辛い片想いエピソードで引っ張っているだけなのだが、漫画としての質が上がっていくため(ストーリー的には停滞しているにも関わらず)物語も盛り上がっていくのだろう。
一気に読んだせいかもしれないが、時間の流れていく感覚があまり感じられなかった。春の花見や夏の花火、クリスマスパーティーに卒業制作、と季節を感じさせるイベントは比較的よく描かれているのに、流れていった時間の長さが感じられない。そのため、上述の中間部は、えんえんと同じことを繰り返しているように感じた。ただ、この漫画の連載を月刊誌が発売されるペースで読んでいた読者は、あゆが真山への片想いに費やした6年間を(現実に)共有しているわけで、作品としてはうまく表現されているようには思えない6年という時間の長さが、実際に読むのに6年かかったという実世界での時間の流れによって補われていたのかもしれない。読者の共感を最も集めていたのは、何と言っても、この片想い美女だろう。
この漫画には様々なテーマが盛り込まれている。報われない片想いの辛さ(あゆ→真山→年上の女性・リカさん→亡くなったダンナ)、はぐと竹本、森田の三角関係(ただし、この三角関係はストーリー的にはあまり盛り上がっていないと思う)、天才(はぐ・森田)と凡才(竹本・花本先生)、竹本の自分探し。巻によって、片想い色が強かったり、三角関係色が強かったり、自分探し色が強かったり、テーマは一貫していない。このように実際はバラバラな話なのだが、リカさん・はぐの両名と絡む花本先生がいるおかげで(リカさんとは大学時代の同級生、はぐとは親戚関係で親代わり)、かろうじて1つのお話にまとまっている。
映画化においておそらく最も難しかっただろうことは、この多岐に渡るテーマを有した物語を誰を主人公として描き出すか、の決定だったろうと思う。通して読むと、あゆ・真山の片想い色が一番強いように思うが、
映画では敢えてそれを少し抑えて、はぐ・森田という2人の若き芸術家が伸び伸びと振舞う様子を見守る雰囲気が強かったように思う(その結果、主人公であるはずの竹本の存在感が薄くなってしまっているのであるが)。では、誰が彼らを見守っているのか? それは花本先生なのだ。そしてそれは、花本先生の姿をした作者自身なのだろうと思う。
この漫画に出てくる「大人」はせいぜい30代半ばまでで、作者の年齢に近いのではないかと思う(「大人」の描き方は概して甘い)。この物語は、作者が花本先生の目を通して描いた青春の物語なのだろう。単行本の表紙には9巻でようやく登場する花本先生だが、それは彼が言わば語り部だからであって、この物語は長い長い花本先生の物語なのではないかと思うのだ。
彼こそ本当の主人公だと考えれば、これは「人と共に生きていく」というテーマを描いた物語である。恋愛関係に限らず、親子関係でも、師弟関係でも、仕事上のつきあいでも、地域コミュニティにおいてでもそうだろうと思うが、人は他者と共に生きていくことによって共に成長していく存在だ。一見雑多なテーマで溢れているこの漫画を1つにまとめているのは、「他者と共に時を過ごす」というテーマなのだと思う。
そう考えると、この漫画の最終話には若干不満も感じる。物語が終わったからといって、登場人物たちの人間関係まで途絶えてしまうわけではないのに、物語が終焉を迎えるのに伴って彼らの人間関係も疎遠になってしまうことを示唆しているように思うのだ。最終話において、主人公の竹本が5年間の大学生活の記憶を触れることのできない永遠不変の想い出の中に何故封じ込めてしまうのかが、僕にはよくわからない。彼ら登場人物たちの間の関係は、様々に姿をかえながらこれからも続いていくだろう。それを示唆する終わり方であった方が良かったと思うのだが。ひょっとすると、この漫画に時間感覚があまりないのは、青春時代をリアルタイム感覚で描いたというよりも、手の届かない記憶の中の美しい想い出として描いているせいなのかもしれない。青春時代って、そんなに美しいものだろうか? そして「現在」は、美しい過去とそんなに隔たったものだろうか?
ところで、この漫画全体に漂う、真剣さ・必死さ・格好悪さを異様に恥ずかしがる雰囲気って何なんだろう? そういうのってそんなに気恥ずかしいことなんだろうか。自分がつい「熱い想い」を口にしてしまったことに気付いた途端に慌てて笑いにかえようとする登場人物たちの姿に(あるいは、そういう姿を描く作者の姿勢に)強い違和感をおぼえた。どうも「熱さ」と「未熟さ」が混同されているように思う。成熟し洗練されていくことは熱さを失い冷めていくことと同義ではないはず。このあたりは作者の若さ(若いのか!?)が出たな、と思う。
全10巻。

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