『英語教育はなぜ間違うのか』
山田 雄一郎(著)
2005年
筑摩書房
☆☆☆☆
ちくま新書の519。『言語政策としての英語教育』(山田雄一郎 2003年 溪水社)を読んだ編集者からのリクエストに応えるかたちで書き下ろされた本で、内容的に重なりがあるとのこと。
現在の日本の英語教育政策を批判する本で、批判の矛先はその「理念のなさ」に向けられている。本書では、そういった理念なき英語教育政策に対する付和雷同を生み出す土台となっている、「国際化」「バイリンガル」「英語公用語論」「小学校英語」「ネイティブ・スピーカー」にまつわる誤解・迷信・神話を1つずつ正していく。
英語あるいは英語教育そのものについて書かれた本というより(言語能力そのものについて書かれているのは第二章「バイリンガルになりたい!」のみだと思う)、世間一般の人の知らない社会の事情、諸外国の事情について書かれた本、という印象。
僕は日本の官僚を無能だとも無責任だとも思っていない。彼らがバカげた行政施策を打ち出すのには、それ相応の(政治的な)理由があるはずだ。ただ、そういう理由というものは大抵は公にされることなく、世間の無知を巧みに利用して実行に移されていくのだろう。本書は、それを食い止めるために世間の無知を何とかしようとしている本で、著者も「あとがき」で「この本は、批判と啓蒙の書である」と述べている。このあたりは、『
「ニート」って言うな!』(本田由紀・内藤朝雄・後藤和智 2006年 光文社)と多少似たような雰囲気を感じた。
ネイティブ・スピーカーについて書かれた第五章は、外国語としての日本語教育について書かれた『
もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』(荒川洋平 2004年 スリーエーネットワーク)と併せて読むと面白いだろうと思う。
序章と第一章が僕にとってあまり面白くなく(ここでは、世間一般のイメージについて論じられているのだが、著者の認識と僕の認識にだいぶ開きがあった)読み出しはやや不安だったが、第二章以降は面白かった。昨今ハヤリの面白オカしいだけの新書とは一線を画する、文系王道のハードな論述スタイル。歯に衣着せぬ物言いで、かなり強気一辺倒。著者の言っていることは正論ばかりで、正論嫌いの人は苦手に思うかも。各章のトピックは一応独立に論じられているが、そもそも各トピックは独立に存在しているわけではなく相互に絡み合う性質のものであるので、1度通して読んだ後もう1回読むとより理解が深まるのではないか、という気がする。
ちなみに、英語教育に三十年以上携わってきた著者のオススメ英語学習法が終章にチラリと書かれてあるので、興味のある人はそこだけ立ち読みしてみるのもいいかもしれない。
本文225ページ程度。

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