『韓国は一個の哲学である』
小倉 紀蔵 (著)
1998年
講談社
☆☆☆☆
講談社現代新書の1430。サブタイトルは「<理>と<気>の社会システム」。
NHKテレビ・ラジオのハングル講座講師としてお馴染みの著者による最初期の本。その温和なイメージを良い意味で裏切る、ハードな印象。著者の哲学者としての顔が見える。
韓国文化・社会論。韓国を面白可笑しく紹介する軽〜い本ではない。一般向けに書かれているとは言え、哲学の本だと思う(久々に「スキゾ」「パラノ」なんて言葉が飛び出す本を読んだ)。具体例やわかりやすい言い換え等はほとんどなく親切な本とは言えないと思うが、かと言って不親切な本というわけでもない(ただ正直、索引はあった方が良かったと思う)。韓国社会を成り立たせている「原理」について述べるには「原理」のみを取り出した方がよい、という方針が本書を一貫していて、読み応えがある。
個々の韓国人の性質や行動様式、価値観の背後にある、韓国社会を支える哲学・思想的な背景についてシンプルに述べていく。1ページ1節という編集方針はリズムがよく、次へ次へとページを繰らされる。社会の体系というものは、多くの要素が互いに支え合って循環的に成り立っているものだから、「何故?」「何故?」と問いを発していっても、そもそもの問いの答えとしてそもそもの問いに辿り着いてしまうような堂々巡りに陥りがちである。そのため、一般読者向けに書かれた異文化を紹介するような本では、最初から「何故?」の問いかけを放棄してしまっているような本が多いように思う。この本では、思い切って細部を削ぎ落とすことによって「何故?」の体系を浮き彫りにする、という方針が取られており、それがこの本を面白いものにしている。
著述の多くは、著者が「1980年代までの韓国・韓国人に関すること」と呼ぶものについてのものだが、私としては、最後の40数ページに含まれていた、90年代以降の変化に関する論考が面白かった。話が急に具体的になり面白いように理解できるのだ。逆に言うと、90年代に韓国社会が経験した大変化を日本人に理解させるためには、(その何倍もの紙数を費やして)それ以前の韓国社会に通底する「原理」について解説しなければならない、ということなのかもしれない。
ところで著者は、語学の専門家でもなく韓国語ネイティブスピーカーでもないという「弱み」を逆手に取って、「キゾー式」なる著者独自の韓国語文法解説法を編み出しているが、シンプルに「原理」だけを示していく本書のスタイルには、「キゾー式」の原形のようなものが見えるような気がする。
おそらく同様のテーマを扱った本だろうと思うが、同じ著者による『韓国人のしくみ』(2001年 講談社)も読んでみようと思う。
本文225ページ程度。

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