『かけがえのない人間』
上田 紀行(著)
2008年
講談社
☆☆☆
講談社現代新書の1936。「これはお坊さんの講演内容を録音し文章化した本だろうか?」といった印象。
年末に本屋で平積みにされているのを見かけた際に心に引っかかるものがあり、年初めに買った本。買ったはいいが、そのまま読まずに「積読」状態だった。おそらく自分の興味を引いたのは、帯に書かれた言葉
私は情けない人間ではないんだ。社会から見捨てられた、交換可能な消耗品、「使い捨て」なんかではなくて、かけがえのない人間なのだ、ということを自ら引き受けた時に、私たちのいろいろな行動は自ずと変化していきます。
だろうと思う。そこには、意識が変わってハイおしまい、ではなく、意識が変われば行動まで変わってくることが書かれており、本書にはただの「癒し本」にはない内容が含まれているだろう、と直感した。その直感は間違ってはいなかったのだが、手放しで賞賛できる本だったかと言うと…、微妙なところ。
内容的には、「空気を読んでばかりいたって、日本社会で生きていく息苦しさからは開放されないよ」という話。著者は、何が良いこと正しいことで何が悪いこと間違ったことであるかが(「神」ではなく)「世間」によって決められる日本社会が共同体性を失ってしまった現在、人々は「他者から評価されなければ、社会から切り捨てられてしまう」とビクビク生きている、と言う。自分自身を「かけがえのない人間」だと思えない現代日本人は、そんな社会のあり方に異議を唱えるどころか過剰に適応することによって、「私のかけがえのなさ」を感じさせてくれない社会の維持に(図らずも)貢献してしまっている。この悪循環から抜け出すためには、他者からの評価に惑わされない「自己」を確立すること、そして、自らの価値に気付いたら、「個々人の『かけがえのなさ』を感じさせてくれないこの社会はおかしい」と声をあげるべきだと説く。そのように自ら未来を切り開いていく、理想を実現するために行動を起こすことによって、「私のかけがえのなさ」がまた強化されていくと言う。
著者がどういう経歴・肩書きを持つ人なのか知らずに読み始めた。読み始めた当初は、お坊さん(宗教者)かな?と思っていたのだが、次第に著者が「癒し」について研究してきた文化人類学者(宗教人類学・医療人類学)だということがわかってきた。
そうだとすると…、僕としては、人間としての著者の言葉よりも、学者としての著者の考えを聞いてみたいと思う(普通は逆なのかも知れないが…)。本書の中にはハッとするような言葉も結構あったのだけど(例えば、「自分が被害者であるという意識が、世界の加害者性を引き出してくるのです。」(174ページ)だとか、「人生の中で実際に起こることは、『何かができた時、私にその力があったことがわかる』という、逆の順序なのです。」(222ページ)だとか)、残念ながら「読者を論理的に説得する」という類の本ではない。幸か不幸か、僕は内容そのものにはそれなりに同意していても、そこに論理性がないと「納得」できない人間なのだ。
例えば、「私たち一人ひとりが自分の『かけがえのなさ』を回復すれば、この社会はぜったい良くなると信じているのです。」(213ページ)とされてしまうと、「分からず屋」としての僕は納得できない。自分自身の「かけがえのなさ」を感じている人間を集めたところで、それだけで「かけがえのなさ」を感じられる「社会の仕組み」が自動的にできあがることにはならないからだ。あるいは、本書の中で「かけがえのなさ」に次ぐテーマとなっているのは「日本社会の共同体性の喪失」だと思うのだけど、「何故日本社会の共同体性が失われてしまったのか、それをどうやって回復させるか」というのはまさに社会科学的な問題であって、それを個々人の意識や行動のあり方とのみ関連づけるのであれば、本書には社会科学的な考察が抜け落ちてしまっていると言わざるを得ない。文化人類学が社会科学かって言うと難しいところなのかもしれないが、研究者として書いた著者の本では(伝えたいメッセージが同じだとしても)異なる論法を用いていることだろう。僕としては、そういう本を読みたい。
ただ、重ねて言うが、著者の言葉の中には直感的に正しいと思えるようなものはたくさんあったのだ。自分が何を大切にしている人間なのかを時間をかけてジックリ考えてみれば、そこにどんな一次元尺度上にも載せられない自分の個性が見えてくる。それが「かけがえのない私」だし、それは「癒し」産業や「自分探し」産業の商品購入と引き換えに得られる薄っぺらな「私のかけがえのなさ」とは違う。そして、自分自身の価値に気付くことができたら、その価値を社会の中で発揮するべきである、自分の内に眠るエネルギーに気付いたら、それを社会の側に投げ返すべきである、自分の今いる場所が世界の中のどこに位置づけられるのかを見渡す視点を持ち、個々人を「かけがえのない人間」として扱う社会を自ら創り出していかなければならない。それは全くその通りだと思うのだ。その通りだと思うからこそ、それを論理的に説得して欲しいし、納得させて欲しい、と思う。
本文230ページ程度。

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