『読むだけで絶対やめられる禁酒セラピー』
アレン・カー(著)
阪本 章子(訳)
2002年
KKロングセラーズ
☆☆☆
ムックセレクト-750。"
Allen Carr's Easy Way To Control Alcohol", 2001.の翻訳。
本書のタイトルは以前からアマゾンのオススメ等でよく見かけていたのだが、このテのタイトルにはどうにも胡散臭さを感じてしまうため、正直読むことはないだろうと思っていた。ところが、同じ著者による『読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー』(アレン・カー(著) 阪本章子(訳) 1996年 KKロングセラーズ)を読んでみたら(あら不思議)本当に禁煙できてしまった!という知人が現れたため、「それなら」と本書を手に取ってみた。
僕は元々「○○セラピー」というようなものに対して(それが医療や福祉の現場で実際に用いられているような本物の心理療法であっても)マユツバものだと考えてしまうところがある。それらの中には実際のところ限りなくインチキに近い(あるいは、効果はあるのかもしれないが、何故効果があるのかを誰も説明できない)ものも含まれているように思うのだ。本書も、ベストセラーとなっているとはいえ、科学的・統計的に効果が検証されているわけではなさそうだし、いったいどんなことが書いてあるのだろう?とやや斜に構えて読み始めた。
読む前は「簡単!サルでもできる〜」的な内容を予想していたのだが、予想に反し小さめの文字がビッシリと並んでいた。意外と理屈っぽい本である。最後まで読ませるための工夫なのか、ちょっと勿体ぶった書き方をしており、後半を過ぎるとやや冗長な印象。この辺り、「理屈はいいから、サッサと禁酒の方法だけを教えてくれ」という人には不向きかも。
著者はイギリス人で、原著もおそらくイギリスで刊行されたものだろうと思う。翻訳は大変読みやすく、最初から日本語で書かれたものではないかと思うほど。ただ、英語と日本語では自然な思考の流れというものが異なるため、英語としてわかりやすい表現が日本語としてもわかりやすい表現であるとは限らない。読みやすい文章なので気づきづらいが、本書においても、ジックリ読まないと著者の真意を誤解しかねない箇所がところどころにある(ちょっとした論理の表現の仕方に文化差を感じる)。
そういうこともあって、一通り読み終えるまでは本書の主旨がよくわからなかった。最後まで読んでようやく「はは〜ん、なるほど」と著者の狙いを理解することができたので、もう1度最初から読み直してみると、1回目には論旨が錯綜しているように思えた箇所もわりとすんなり理解できた。複数回読み直した方が良いタイプの本だと思う。著者の「禁酒メソッド」とやらは最後の2章に書かれているが、著者自身そこだけ読んでもダメだと言っている。本書は、禁酒の方法を記した本というより、酒というものに対する「感じ方」を改めてしまおうという本。納得することが何よりも大事で、飛ばし読み・斜め読みをせず、最初からジックリ読めと指示されている。実際、そうやって読んでいけば、最後まで読む前に禁酒できてしまう人もいるかもしれない。
本書が「読むだけで絶対やめられる」と自信タップリなのは(ちなみに、原題にはそんな言葉はないが)、要するにこういうことだ。酒をやめられないのは、結局のところ酒を飲みたいと思っているからだ。いくらアルコール依存症の末路は悲惨だと頭で理解していても、本心では飲みたいと思っているものを我慢し続けることなんてできっこない。だからこれからはビールを見たらオシッコだと思えばいい。何の苦もなく禁酒に成功するだろう。本書が理屈を並べるのは、ビールをオシッコだと思わせるためなのである。オシッコは美味しいか?(ノー!) 飲むと楽しいか?(ノー!) ストレス解消に欠かせないものか?(ノー!) 飲んでいる人を羨ましいと思うか?(ノー!) おめでとうございます! あなたはもう2度とオシッコを飲まなくていいのです! これからはオシッコを飲まない健康な毎日を満喫してください! …いや、ま、オシッコ云々は僕の例えですけど(笑)。
アルコールは依存性薬物である以上、誰にも摂取コントロールはできない。我々は「自分の意志で飲んでいる」なんて考えているが、摂取コントロールは最初から奪われているのだ(「少し控えた方がいいかな」と思って初めて、それができないことに気づくだけで)。そのため著者は節酒(摂取コントロールを取り戻すこと)は不可能だという。ところが著者はこうも言うのだ。(節酒ではなく)禁酒が難しいのは、通説通り「禁断症状がツラいから」ではなく、「酒の楽しみを永遠に手放すことが惜しいから」なのだ。だから、ビールをオシッコだと本気で信じ込むことができれば、禁酒は別に難しいことではないという(いや、オシッコ云々は僕の例えで…)。
本書の大部分は、社会的に刷り込まれる「アルコール神話」を1つ1つ覆していくことに費やされている。曰く、アルコール自体は美味しくはない。アルコールの摂取そのものによって楽しくなるわけではない(楽しい「場」はアルコール抜きの方がむしろ楽しい)。アルコール摂取はストレス解消に役立たない(むしろストレスの原因となる)。酒を飲んでホッとするのは、リラックスできるからではなく、飲めないツラさを解消できたからである。禁断症状は禁酒によって初めて生じるものではなく、飲酒によって生じている。大抵の場合、酒を飲むべき「理由」は、飲みたい気分が生じた後に捻り出された「言い訳」に過ぎない。酒を飲んでも良いことなんて実は(オシッコ同様)何もないのだ。こういった著者の主張に同意できるなら、確かに本書を読むだけで禁酒に成功するかもしれないと思う。飲みたい気持ちに打ち克つことができるようになるのではなく、飲みたい気持ちが消えてしまう、という意味で。
著者が否定していく「アルコール神話」の中には僕にはあまり馴染みのないものもあった。これは「イギリスではそう言われている」ということなのかもしれない。この辺り、「だからこの本は日本では通用しない」という意見もあろうが、僕としては、「アルコールに関する信念」の多くは科学的事実というよりも社会的事実である、という著者の主張を(意図せずして)裏付けているように思えて、逆に面白かった。
ただ、僕自身は著者の用いる論理に完全に納得がいったわけではなかった。例えば、中盤辺りで展開されている「母なる自然と本能」論に生物学者は異を唱えるだろうし、依存性薬物と薬物依存症についての解説も不正確に感じた。一見互いに矛盾しているように思われる主張もところどころに現れる。著者が簡単に否定する「何かに依存しがちなパーソナリティー」というようなものも(僕としては)あるのではないかという気がする。このように個々の記述の1つ1つについてまで完全に同意するわけではないが、著者の「禁酒メソッド」のキモが「飲みたくなくなってしまえば、飲まないでいることはたやすい」ということであることを考えれば、多少科学的に不正確な論拠(あるいは、完全に誤った論拠)を用いていたとしても目をつむってもいいかな、とも思う。
ところで、この本が僕にも効きそうであれば、同じ著者の『あなたの心配グセを治す安心セラピー』(アレン・カー(著) 阪本章子(訳) 2006年 KKロングセラーズ)を読んでみようかと思っていたのだが、実際のところ、僕はこの本を「読んだだけで」禁酒に成功するだろうか? それはわからない。それと言うのも、僕がこの本を手に入れたのは実は僕が禁酒を決意した今から2年半前のことなのだが、結局僕はこの本を「読まずに」禁酒に成功してしまったからだ(もう1000日近く1滴も飲んでいない)。
300日間禁酒を継続できたときに僕自身が感じたことは、「楽しいときはアルコールがなくても充分楽しい」ということと、「嫌な気分は、酒を飲まずに寝てしまった方が早く消える」ということ。これらは著者の主張と大筋で一致している。また、本書を読んで僕が禁酒を継続できているポイントはこれかな?と思ったのは、世の酒飲みたちを全く羨ましいと思わなくなってしまったこと(禁酒を決意した当初からそうだったわけではない)。酔っ払って奇声をあげる若い学生グループであれ、気勢をあげる年配のサラリーマングループであれ、ある頃から酔っ払いが哀れに見えてくるようになってきた。本来、酒を飲んで束の間の自由を感じたいところだろうに、むしろ酒に行動の自由を奪われて窮屈そうに見えてしまうのだ。素朴に、もうあちら側には行きたくないなと思ってしまう(むしろ、飲酒の場面を「想像」しているときの方が、そういう場を魅力的に感じる)。よく言われる「一口でも飲んだら元の木阿弥」というのが本当なのか、確かめてみるためには一口飲んでみるしかないとは思っているのだが(笑)、たぶん僕はもう一生酒を飲みたいとは思わないだろう。
実は最後の2章に書かれている「禁酒メソッド」には、本書の他の箇所ではあまり触れられていない内容がいくつか含まれている。それらはみな、禁酒することによって何かを犠牲にしたと思わないための工夫であったり、逆に禁酒することによって多くを得たと感じさせる工夫。禁断症状ですら、これは自分が酒から自由になりつつある証しなんだ、と思えば、楽しいものになり得るのかもしれない。僕も酒を断った最初の1〜2週間は、人生の大部分を失ってしまったように感じ、またすぐ飲み始めてしまうのかもしれないと怯えていたのだが、数週間で感じ方は変わってきた。今や、かつては酒抜きの人生なんかあり得ないと本気で考えていたことが信じられない。酒をやめたところで、何も欠けやしないのだから。まぁ、オシッコを飲まなくなっただけの話なので、得たと思えるものもそれほど多くはないのだが(笑)。
本文200ページ程度。

0