『逃亡くそたわけ』
絲山 秋子(著)
2007年
講談社
☆☆☆
講談社文庫の「い-113-1」。同名の単行本(2005年 中央公論新社)を文庫化したもの。芥川賞作家による短めの長編小説。解説は渡辺直己。
ある夏の日、しつこい幻聴に追い立てられるように精神病院から脱走することを決意した「花ちゃん」は、入院仲間で名古屋出身の「なごやん」を道連れに、昭和の四角い車に乗り込んで、福岡から大分、熊本、宮崎、鹿児島へとアテのない逃避行に乗り出したのだが…。
九州を舞台とした一週間ほどの物語。地元の言葉や地名がバンバン出てくるので、九州の人はより楽しめると思う(解説の前のページに九州全図(と逃亡ルート)が掲載されている)。
躁で(と言うか、統合失調症ではないかと思うのだが…)主人公の花ちゃん(女性、21歳)と、鬱の茶髪サラリーマンのなごやん(男性、24歳)の会話中心。花ちゃんの博多弁(?)のリズムも良く、実はそれほど読みたかったワケでもないのだが(笑)、読み始めたら一気に最後まで読んでしまった。
途中までは「この作風は誰かに似ているような…」なんて思いながら読んでいたのだが、物語の中盤、阿蘇を越え、クスリの切れた彼女の調子がオカシクなってきた辺りで、物語に完全に惹き込まれている自分に気づいた。
この著者の小説は初めて読んだ(正直、著者の名前を聞いたこともなかった)。著者は現在群馬在住で、群馬に引っ越した知人の話の中に彼女の名前が出てきて興味をもった。ところがこのお話には、群馬の「ぐ」の字も出てこない。
作中、日本のロックバンド、The ピーズ(言うまでもないが、B'zでもないし、Pe'zでもない)の曲の歌詞が引用されている。知人が僕に本作について教えてくれたのも実はそれが縁で、The ピーズは僕の数少ないお気に入りのバンドの1つなのだ。どうやらバンドのメンバーと著者は昔からの知り合いであるらしい(なごやんが「恋は水色」を歌うシーンがあるが、ピーズもライブでやっていた)。それで気づいた。この物語のもつ雰囲気は、ピーズの(と言うか、リーダーでヴォーカルのハルの作る)曲の雰囲気ととてもよく似ているのだ、と。
焼けっぱちで、投げやり。寂しがり屋のクセに、ぶっきら棒。気まずくて、切なくて、息が詰まる。そもそも、この逃避行を永遠に続けられるワケでないことは最初から分かり切っていた。九州南端に辿り着いたらそこで終わり。グルッと回れば振り出しに戻る(病院に戻って来てしまう)。そんなことはわかっているのだ、本人たちにも。彼女を駆り立て突き動かしているのは、ハルの歌声によって表現されている、絶望していても抑え切れない焦燥感なのだ。
花ちゃんの行動に(周囲の人間を納得させられるような)理由なんてない。入院の直接のキッカケとなった自殺未遂も、今回の脱走劇も、躁の行動力のなせる術なのだから。博多から指宿まで車で1000km逃げ続けて…(と言うか、そもそも誰も追ってこないのだが(笑))、それで何かが解決されたワケじゃない。人生は同じ苦行の繰り返し。こんなこといつまで繰り返すんだろう…、というのが、生きていくことのツラさ。それでも、今度また逃げ出すときには、もう少し楽になっているかもしれない。とにかく今は精一杯息をするしかない。
本作を原作として映画化もされている(『逃亡くそたわけ―21歳の夏―』(本橋圭太(監督) 2007年))。おそらく、九州全土を舞台としたロードムービーなのだろうけど、行き先々での出来事というよりも、車中の2人の関係性や心持ちの変化がポイントになっているのだろう。そこにピーズの曲がどうカラんでくるのかね。正直、この小説そのものは「映像化」したくなるようなものではないと思う。面白い映画になっているかどうか…。(怖いもの見たさで)観てみたいような、観たくないような…(笑)。
本文170ページ程度(他に、渡辺直己による解説が9ページ)。

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