『「なぜ?どうして?」をとことん考える高校数学』
南 みや子(著)
2013年
ベレ出版
☆☆☆☆
高校のベテラン数学教師の書いた高校数学副読本。テーマは「高校数学で初めて現れる類の『わからなさ』」。表紙に「“自分は数学に向いていない”と思いながらもとことん数学と向き合い、数学の教師となった著者が、木(問題)を見て、森(全体像)を見る方法で、高校数学を語ります。」「わかる人にはわからない、数学のわからなさがわかる!」とあるが、「数学嫌い」「落ちこぼれ」の学生さん向けではないと思う。むしろ強いて言えば、中学までは数学が得意だったのに高校に入った途端にわからなくなってきた(なってしまった)学生さん向け、か。
全4章構成。文字・式、図形・グラフ、微分・積分、その他(証明、順列・組合せ、集合、ベクトル、数列、等々)、といった内容。網羅的な内容ではなく、レベルもあまり高くないが(どちらかと言えば低いくらいだが)、本文中に典型的な高校数学の問題が多数出題されているので、その度に本を置いて解きながら読み進めるのがポイント。本文は完全な口語体でクダけ過ぎなくらい、文字も大きく、問題も易しいのでサクッと読めるが、サクッと読んではいけない本だと思う(本書で出題されている問題は、答えを得ることそのものが目的なのではなく、「(教科書が学生に)その問題を解かせることによって、いったい何に目を向けさせようとしているのか」に注意を向けさせるために出題されている)。本文は高校数学の単元の流れに沿って書かれているので、本文を読む際には教科書や参考書と併読するのがいいだろう。また、各章の「あらすじ」であり「まとめ」でもある章末の「森のグランス」は「現役高校生の視点」から少し距離を置いた大人向けで読み応えがある。「大人のための数学再入門」としてなら、この部分を中心に読むのもいいだろう。最後の「エピローグ」では著者の想いが実に率直に綴られていて、僕は読んでいて泣きそうになった。数学の本なのに!
著者に言わせると、数学の教科書というものは実にぶっきら棒で、「最初からそう言ってくれればいいのに!」と思うような箇所がかなりあると言う(そういう意味では、同じ著者による本書の姉妹編『
数学の教科書が言ったこと、言わなかったこと』(2014年 ベレ出版)の方が、著者の言いたいことをストレートに表現したタイトルなのかもしれない)。教科書の「話の流れ」の風向きの変化に気づかないまま表面的なところに捉われてしまうと、周りの風景が以前とは微妙に変わってきていることに気づかないのだと言う。なまじ中学までは得意だっただけに、そういう学生はここで独特の躓き方をしてしまうようだ。本書は、どこで風向きが変わったのか(と言うか、風はどこに向かって吹いているのか)、そのことによって個々の単元の背後に見え隠れする数学的世界の見え方がどのように変わってきているのかを、著者がジックリと語り聞かせてくれる本。パ〜ッと読んでしまうのではなく、著者の息遣いにまで耳を澄まして読んでいくと…、なるほどな、という「気づき」が多々訪れる。「種明かし」のようでもある。
ベテラン数学教師の書いた高校数学の本としては、以前『
見えてくる数学』(小林吹代(著) 2007年 すばる舎)を読んだことがある。『見えてくる数学』も数学のわからない生徒の素朴な想いを汲み取ってくれていて有り難く思ったのだが、学校数学の範囲内で理解できればそれで良しとする雰囲気が強く、その背後に広がっているハズの数学的世界のようなものが見えてこないのがもの足りなくも感じた。本書はまさにそこ、「学校で習う数学の背後に広がっている世界」へ目を向ける端緒を提供している。
読者に求められる前提知識としては、やはり中学数学までの理解は必須か。本書のテーマは「高校数学特有の『わからなさ』」なので、中学数学がわかってないとその「わからなさ」がわからない。それと、教科書に出てくる典型的な問題を次々と示しながら進んでいく「副読本」的な本なので、教科書を見慣れている現役の高校生じゃないとピン!ときづらいだろうとも思う。そういう意味で、「大人のやり直し数学」のツモリで本書を手に取ると、高校を卒業してから過ぎ去った年月の長さを改めて噛みしめることになるかもしれない(笑)。
僕がもし30歳若かったら、本書の対象読者そのものだったろうと思う。中学までは算数・数学は一番の得意科目、テストで最も安定して点数を稼ぐことのできる科目だった。それが…、高校1年で習った「数学I」で完全に挫折してしまったのである。ショックが大きく今でも覚えているが、冬休み明けの3学期2日目に行われた学力テスト、採点を終えて返された200点満点の数学のテストの点数は何と11点! 正直、この時点で僕は大学進学を諦めた(僕は諦めが早い(笑))。結局1年浪人して文学部に進んだが、進学先として文学部を「選んだ」ワケではなく、受験科目に数学のない文学部に進むしかなかったというのが本当のところだ(法学部の入試科目にも数学はなかったが、僕は法学部というところは「弁護士を目指す学生が行くところ」だと思っていたので、進学先として考えたことはなかった)。それ以来僕は「事実としては高校1年で完全に挫折したが、『本当は』俺は数学ができないワケではない(ハズな)んだ」という、妙な数学コンプレックスに苛まされている。
それで、30歳過ぎくらいのときに一念発起して中学数学からやり直したことがあったのだが…、中学数学はほぼ完璧にできるのだ。ところがやはり数Iで躓く(涙)。と言うか、「二次不等式」で躓く。心の底から不思議なのだが、教科書や参考書を読んでいて「二次不等式」でわからない点は何一つないのだ。ところが、問題を解いてみると全くできない。「自分は『二次不等式』の何をわからないのか」が全くわからないのである。これこそ「本当にわからない」ということだ(「何がわからないのか」がわかるのであれば、それはかなり「わかっている」)。
「二次不等式」はさておき、「数学のわからなさ」というものの正体を考えると、それは「何故ここでそんな議論をしているのかがわからない」ということではないかと思う(考えてみるとそれは、数学に限らず、哲学なんかでもそうかもしれない。いや政治的な議論なんかでも、話がややこしくなってくるとみんなそうかもしれないなぁ…)。要するに、「目的」がわからないのだ(何で「二乗したらマイナスになる数」なんてものについて考えにゃならんのよ)。だからその「意図」を説明してくれさえすれば、「数学のわからなさ」の大部分は消えるのだ(残る「わからなさ」は、技術的なもの(例えば「虚数の計算規則」)と、概念的なもの(「虚数とは何か」))。僕を含む文系人間を苛立たせるのは、「結局、何を言いたいのかわからない(最終的に何を理解させたいのかわからない)」ということではないかと思う(苦労して証明を理解したとして、「だから何なのよ」と放り出されたような気分になる)。それこそが本書のテーマなのである(ただ、この本をもってしても、「話の意図がわからない」と感じる点は後半の本文において徐々に増えてくる(特に雑多な内容を集めた第4章に顕著))。
以前、他の本で読んだことがあるが(小島寛之氏か栗田哲也氏の著作ではなかったかと思う)、日本の算数・数学のカリキュラムというものは、小学校から高校まで10年以上の時間をかけて一歩一歩歩んでいくと、最後には驚くほど美しい世界が見えてくるように組まれているものらしい。ところが、数学の教科書は(そして数学教師も)「最後に何が見えるのか」については一切予告してくれない(「ネタバレ」しないように!?)。学生は最終的にどこに辿り着くのかも知らないまま10年以上もトンネルの中をひたすら歩き続けなければならない(しかも、最後に辿り着くのが「素晴らしい場所」だ、とすら知らされていない)。脱落しない方がオカシイのだ。そういう意味では、日本の数学教育は完全に失敗していると思うのだが、何故改善されないのだろう…? せめて「最後はハッピーエンド」という「予告編」だけでも見せてくれれば…。
本書を読み進みながら、素人にとっての「数学の面白さ」って何だろうな?と考えてみた。僕は数学の本質は「言い換え」だと思っている。ちょっとずつちょっとずつ言い換えていく。「AだからBで、BだからCで、CだからDで…」と少しずつ少しずつ進んでいくと…、やがて「YだからZ」と思わぬ地点に到達している。考え始めた時点では「Aから辿り着ける」なんて思ってもみなかった「Z」に今自分は立っている。驚いて遠くのスタート地点を振り返ってみると…、目の前に広がる雄大な風景に心奪われる…(オーロラみたいなの想像してください(笑))。これが数学の面白さだと思うのだ(ほら、本当は俺は数学得意な(ハズな)んだ! でなきゃこんなに熱く語れるワケがない(笑))。本書の「森のグランス」は、この「振り返り」のための手がかりになる。
もちろん、理工系の人でも「数学はツール(道具)に過ぎない」と割り切っているタイプの人もいて、そういう人にとっては「数学的世界」だとか「雄大な風景」だとか(オーロラだとか(笑))そんなのどうでもいいことなのだろう(そういう「割り切り」がダメだと言いたいワケではない)。それに対して僕は、どういうワケか昔から「自分の内面的な世界を深めたい」みたいな傾向が強く、小学校算数のレベルでもいいから数学的世界というものを「堪能したい」というタイプ。「とにかく納得したい」という人間なのだろう(おそらく著者もそういうタイプなのだろうと思う。「私は『物事を深く考える』ような立派な生徒などでは決してなく、自分の足元が不安定なことに、ひたすら居心地の悪さを感じて、その足場の寄って立つ場所を『掘らずにはいられなくなる』タイプの生徒だったのである。」とある(151ページ))。そういう読者(学生)にとっては、「福音」とも言えそうな本である。
ちなみに、この本を読みながらだと、僕でも本文中で出題されている問題のほぼ全て(二次不等式も含む(笑))を正解することができた(もっとも、「難問を解けるようにする」という趣旨の本ではないので、易しい問題しか出てこないのだが)。つまり、中学数学ができればこの本の内容(高校数学)も理解できるのだ。「三度目の正直」を狙って、もう一度「数学I」をやり直してみようかなぁ…。数Iで登場する数学的概念の背後に広がる風景が今度こそ少しは見えてくるかもしれないから。それは、自分の心の中に、まだ見たことのない風景を探しに行くような感覚。たぶん僕はこれを死ぬまでやり続けるのだろうと思う(無人島に行くなら、僕は数学の本を持って行く。だって、本当は俺は数学が…(笑))。
本文300ページ程度。

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