『「IT断食」のすすめ』
遠藤 功・山本 孝昭(著)
2011年
日本経済新聞出版社
☆☆
「日経プレミアシリーズ」の140。要するに、「酒は飲んでも飲まれるな」という話。社内のITシステムの活用が上手くいっていない比較的小規模な企業経営者向け、か。
「『IT断食』のすすめ」という人目を引くタイトルが冠されているが(そして、そういうタイトルの本を書いたのがIT企業の社長だというところがますます人目を引くわけだが)、内容は極めて真っ当、正論そのものである。ところが、不思議なことに説得力がまるでない。どうしてこういうことになってしまったのか…。
内容としては、現代の日本企業の一般的な仕事の進め方において、IT活用のメリットがデメリットによって打ち消されてしまっているのではないか、という問題提起。特にIT活用の方法がマズく、ITというツールに振り回されている本末転倒な現状を念頭に、「ITを『脇役』に戻そう」(116ページ)、「ITに使われずに、ITを使いこなす」(231ページ)ことを提言している。最終的に言いたいことは、タイトルから想像するほど過激なものではなく、「ITを否定するのではなく、ITを賢く使いこなす、もしくはITに振り回されないための知恵やアイデア、創意工夫を生み出すことが求められている。」(232ページ)といったところのようだ。わざわざ誰かに指摘して貰う程のことはない、当たり前の話である。
著者の1人が、(通常であれば)企業にITシステムを売り込む側であるIT企業の社長であることを考えると、本書が、「ITの賢い使い方」に関する「文化」の欠如という問題を「新たなITシステムの導入」によって解決することは不可能だ、と主張している点が面白い。「使い方」に関しては、システムを使う人間が主体的に見直すしかないのだ、と。そのための方法論としての「IT断食」である。
(ちなみに、「IT断食」というやや過激な方法論を著者が提唱するのには、単に「人目を引くタイトルをつける」という思惑以上の意味があるのだろうと思う。組織としての「過度なIT依存症=IT中毒」状態は、合理的に振る舞う社員の相互作用による「均衡」状態として成り立っている。そのため、「徐々に快方に向かう」ような解決策を期待し得ないのだ。一気に均衡を崩し別の均衡に移行させるような荒治療を施さざるを得ない、ということなのだろう。)
正直に言えば(僕が「正直に言えば」とわざわざ前置きを置くのは、大抵の場合その後に滅茶苦茶ネガティブな言葉を続けるときなので、覚悟して下さい)、「正直に言っていいのかな」と思うほどツマラない本だった。内容が正論そのもので当たり前過ぎるということ、似たような表現の繰り返しが多く全体的に冗長であること、比喩や例え話、表現がどれも少しずつピント外れで議論に説得力がないこと、おそらく複数の異なる問題が未整理なまま「過度なIT依存=IT中毒」として一まとめにされてしまっていること、そもそも問題の根源が本当に「IT中毒」にあるのかどうかすら疑わしいということ、等々がザッと思いついたその理由だ。
本書の主張が当たり前過ぎてツマラないというのは、例えばこういうことだ。本書を読んでいて、楽天だったかどこだったかのプロ野球チームについてのエピソードを思い出した。シーズン開幕前のキャンプ中に選手全員にiPhoneだかiPadだかの「情報端末」を配ったのだそうだ。「これで『データ対策』はバッチリ」なのだそうだが、こんなことで楽天の勝率が上がったらむしろ驚きだ。本書のポイントの1つは、これは野球チームに限った話ではなく、業績アップのためにはIT化が必須・有効と思われているような、どんな職種・業種においても多かれ少なかれ当てはまる話なのだ、というところなのだが…、目から鱗が落ちただろうか? 僕には何の驚きもなかった。「パソコンを全員に支給し、使わせただけで結果が変わることなどあり得ないのだ。」(140ページ)。そりゃそうだろう。誰だってそう思ってるんじゃない?
著者が身を置くIT業界の感覚というものは、やはり少し特殊なのかな、とも思う。数年前のWindows 7の発売直後、とあるシステムインテグレーター系の企業の出しているIT情報誌を眺めていて驚いたことがある。Windows 7になって、VistaよりもOS起動にかかる時間が1/2だか1/3だかに短縮された。これで仕事の効率は大幅にアップ、生産性も大幅にアップする、というのだ(だから、「デキるビジネスパーソン」を自認する君はすぐに新製品を購入すべし、と)。こういう、書いている本人も、それを読んでいる読者も、誰も信じていないような言説で成り立っている情報誌を平気で出版してしまうような業界って一体何なんだろう?と思っていたのだが…、あの記事、本気で書かれたものだったのだろうか?
本書を冗長に感じたのは、主に第1章・第2章について。本書では、ちょいとググってヒットした内容をそのままコピペしたような内容のない資料が膨大な量に膨れ上がってしまっている現状を「BLT(バカのロングテール)」と呼んでいるが、これはもの凄い皮肉である。だって、この本自体がBLTそのものなのだ(意図的にそうしているのだとしたら、笑いのわかる著者だと思う)。同じ事柄を異なる抽象レベルで手を変え品を変え説明してくれるのなら有難い。より理解が進む。わかりやすい説明とはそういうものだ。ところが、本書では既視感のある表現が何度も繰り返し登場する。これでは単なる文章の水増し、議論を薄めただけである。僕には、本書で述べられている事柄のほとんどが最低2〜3回は繰り返されているように見える。つまり、同じことを1/2〜1/3の分量でもっと簡潔に伝えられるはずなのだ(極端なことを言えば、本書全体の内容を(著者の言う通り)「表裏2ページの手書き・手描き資料」にまとめてしまった方がよほど有益な資料になると思うし、それは可能だと思う)。第3章・第4章には一応目を通すだけの価値があると思うが、ここだけを読むなら約90ページで済む(本書全体の約40%)。第4章のケーススタディの部分(約15ページ)が一番面白いのだが、これすらほとんど同じ内容の短期連載記事を日本経済新聞で読んだ記憶がある…。だいたい、ググってコピペすることはいけなくて、ライターに水増しした文章を書かせるのは構わないのか?
本書を読んでいてイマイチわかるようでわからない気分になるのは、キーワードとして用いられている単語が適切なものではないせいだろうと思う。例えば、本書の主旨は「ITを使うな」というものではないにも関わらず、最重要キーワードが「IT断食」なわけだし、むしろ大事なのは「ICF(Information and Communication Flood:情報とコミュニケーションの洪水)」と「BLT」の方なのに、代わりに「過度なIT依存症=IT中毒」を多くの意味を含む(それゆえ曖昧な)マジックワードとして多用してしまっている(しかも、個々の社員や企業という組織体がこの「IT中毒」に侵されていることに「気づいていない」「自覚症状がない」というのは全く的外れな指摘だと思う)。また、「現場・現物・現実」に触れ、顧客や関係者と対話し、問題点を分析し、どう行動すべきかをジックリ考えるために費やす時間を「健全なアナログ時間」と呼んでいることも全く腑に落ちない。ここで「アナログ対デジタル」の対比を用いるのは、どうにもピント外れなもののように思うのだが。本書にはこういう、「『わかった気にさせるための表現』が不適切で、かえってわかりにくくなっている」例が満載なのだ。
本書の最大の問題点は、企業の現場で起きている様々な問題を未整理なまま「IT中毒」として一緒くたにしてしまっているところではないだろうか。例えば、本書の冒頭(「プロローグ」)に示されている「IT中毒者たちの“多忙”な日常」を読んでいると、「これはITがなくても生じる問題なのではないだろうか?」という気になってくる。問題の本質は、「ITのマズい使い方によって情報共有が以前よりも阻害され、個々の社員のタコツボ化が一層促進されてしまった」という点にあるように思う。だとすれば、本当の問題は「IT中毒」ではなく「社員のタコツボ化」――官僚制の逆機能――、50〜60年も前から指摘されている問題だ。そして、問題の本質が「IT中毒」にないのなら、本書の第4章で示されている処方箋――「IT断食」――も、この問題に対する本質的な解決策にはなり得ないだろう。また、もし「IT断食」を行って業績を改善できる企業があるのなら、その企業はIT化をより一層進めることによっても業績を改善することが可能なのではないかと思う。本質は「過度なIT依存」にあるわけではないのだ(実際、第4章に書いてある「IT断食」の手順を読んでいると、「ここに書いてあるようなことを本当に実行できる会社なら、そもそも『IT中毒』的な症状に陥らないのでは?」という気分になる)。
僕がこの本に対して(我ながら)ちょっと異様なほど不満を感じているのは、僕がこの本を「ITとの適切な付き合い方」について述べた本というより、一種の社会科学の本として読んでしまったせいなのかもしれない。実に様々な問題がゴッチャにされているように感じる。例えば、本書で指摘されている「過度なIT依存症=IT中毒」なる病理が、個人レベルで浸透してきているというのか、組織レベルで浸透してきているというのかが曖昧なままだ。個人の問題としての「IT中毒」に対する解決策と、組織の問題としてのそれは、大きく異なるはずだ(「組織の問題は結局は個人の問題だ」とするなら、それこそ社会科学的な視点の欠如を意味していると思う)。あるいは、「ITによる情報共有は(実は)難しい」という問題と、「意味のない作業にかける時間が増え、意味のある作業にかけるべき時間を圧迫している」という問題とは、(一方が他方の原因になっている、等の関係はあるかもしれないが)本来は別々の問題であるはずである。また、1990年代に入ってからのダウンサイジングの波――「パソコン1人1台」時代の到来――と、「バブル崩壊後の20年間、日本企業が管理業務等の後ろ向きの業務を強化せざるを得なかった」時期が重なってしまったのは、(著者の指摘する通り)タマタマである。タマタマであるものまで「IT中毒」現象を構成する要因として含めてしまうのはどうかと思う(もちろん、それが問題を複雑にしている要因であるということはわかるのだが、そういうことを1つ1つ整理していかなければ、「あれもこれも」といった何でもありの議論になってしまう)。著者は「ITシステムの不適切な使われ方」に問題の根源を見ているが、著者の挙げる問題の中には「不適切なITシステム」によって生じている問題も含まれているように見える(これをストレートに解決するのは、もちろん「ITシステムの適切化」である)。
文句ばかり書くのもアレなので、こんな話についても触れられていたら面白かったのに、という話も書いておこう。さきほどの楽天の話、ひょっとしたら選手全員が情報端末をもってデータ対策はバッチリ、実際に強くなっていたのかもしれない。ところが、もし他の5チームも選手に情報端末を配れば…、やはり楽天の順位は変わらない。全てのチームが一様に強くなってしまうからだ。1社だけIT化の「抜け駆け」をして業績を上げようとしても、全ての企業が同様のIT化を進めれば、結局序列は変わらない。コストだけ増えて何も得るところなし。ところが、今さら後戻りはできない。序列が下がるだけだからだ。社会科学としては、こういう話の方が面白いと思うのだが…。
僕自身は、ITベンダー・システムインテグレーターという業界に対して、「必要のないITシステムを『他社はどこももう取り入れていますよ』と危機感を煽って売りつけることによって、成り立っている産業」という印象をもっている(これはまぁ、我ながらもの凄い偏見だとは思う)。とすると、本書のような主旨の本をIT企業の社長が書く、ということはどういうことなのだろうか。正直、最初は「IT断食を進めるためのITシステムの導入を促す」というオチがつくのかと思っていたのだが、この予想は外れた(この点については、笑いのわからない著者だなと思う)。通常、企業のIT化をそそのかす側であると見なされている著者のような肩書きの人が「『IT断食』のすすめ」なんて本を書いている、という事実は、同業他社との良い差別化になるのだろう(ある意味、誠実な態度ではあると思う)。著者にとっては「名刺代わりの1冊」になるのかもしれない。
ただ、読者としては得るものはほとんどないように思う。強いて言えば、来る日も来る日も膨大な量のメール対応に貴重な時間を奪われている読者に、「プロローグで描かれている話はまるでうちの会社みたいだ。やっぱり日本社会はおかしいんだよ! 著者の言う通り『IT断食』すべきだ!」と溜飲を下げさせることくらいしか効能がないのではないだろうか。
…とボロクソに書いてきたが、僕としては面白かったのは、(逆に著者にとっては驚くに値しない事柄らしいのだが)「電子メールは、情報共有には不向きなツールである」という指摘。電子メールはそもそも疎遠な関係者間のコミュニケーションを活発にするものではないのだそうだ。その結果、電子メールに頼って社内の情報共有を進めようとすると、必然的に社員のタコツボ化につながってしまうのだとか。こっちの方が僕にとっては目から鱗だった(言われて初めて、「あぁそうか、そうかもしれない」と思った)。
また、メールの「CC(カーボンコピー)」を多用することが、「援助行動」の阻害要因として有名な「傍観者効果」を生じさせ、かえって誰も「関与しない」「助けてくれない」「共同責任は無責任」という事態につながっている可能性に気づいたのも面白かった。これ、産業・組織心理学分野での研究ネタにならんかな(卒論レベルだが…)。
またまた、「1980年代までのメインフレーム全盛期には、IT化の効果は目覚しかった。そのメリットがデメリットを下回るようになってきたのは、1990年代に入ってダウンサイジングが進み、ITが『計算』ではなく社員間の『コミュニケーション』に使われるようになってからの話」という指摘も面白い。「計算」は人間の代わりにコンピュータがやってくれる(そして、人間がやるよりもはるかに効率よくコンピュータは「計算」を行う)。ところが、「コミュニケーション」は人間の代わりにコンピュータが行ってくれるわけではない。コンピュータを使って人間が行うのだ。そのため、「人間によるコミュニケーションの問題」がコンピュータを使うことによって手に負えないほどに増幅してしまうのだ。著者がこの問題を解決するのはITではなく文化だとするのは、こういう認識があるからなのだろう。そういうとこ整理して書いてくれたら、面白い本なのにな〜。
本文225ページ程度。

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