『人工社会――複雑系とマルチエージェント・シミュレーション――』
Joshua M. Epstein & Robert Axtell(著)
服部 正太・木村 香代子(訳)
構造計画研究所
1999年
☆☆☆☆
原題は、
"Growing artificial societies: Social science from the bottom up"。
著者らの長期的な目標は、分断されたかたちで発展してきた(そういう発展の仕方を余儀なくされてきた)社会科学の諸分野を統合すること。そのための方法論として、マルチエージェント・シミュレーションという“コンピュータ上の実験室”を用いる。著者らは、マルチエージェント・シミュレーション・ソフトウェア“Sugarscape”の(様々にパラメータを変更して行った)実行例の解説を通して、統合された新しい社会科学の必要性・実現可能性を読者に熱く語りかける。この分野の歴史・現状・課題、等を概観した本ではなく、Sugarscapeを用いた1つの研究例を紹介しながらマルチエージェント・シミュレーションによって何が可能かを示す、という趣旨。
Sugarscapeは、セルオートマトン的に振る舞う自然環境と、その上で生活する多数の自律的エージェントによって構成されている。各エージェントはそれぞれ自然環境と相互作用するだけでなく、他のエージェントとの間で様々な相互作用を行う。相互作用の従うルールの現実性・複雑性は最小限にとどめられているにも関わらず、Sugarscape内で様々な社会現象が創発することを次々と見せていく。
かつて読んだどんな本よりも註が親切で、全体的に読みやすい。翻訳も良いと思う。各章ではシミュレーションの細部まで記述されており、プログラミングにある程度心得のある読者なら、Sugarscapeの一部を再現したり改変することも可能ではないかと思う。人工市場や複雑系経済学などに関する文献(1980年代後半〜1990年代前半のもの)のリストが比較的充実している。
私自身はエージェント間の協力関係や集団間葛藤の創発に興味があって本書を手に取ったのだが、その点に関しては本格的に扱われていなかった(Sugarscape内での“戦争”も扱われているが、集団間葛藤そのものの創発を扱っているわけではなかった)。むしろ著者らは、エージェント間の物々交換によって生みだされる“分権的市場”の性質に一番の関心を向けているようだ。私にとって面白かったのは「個体群と環境との共進化」という見方だろうか。これまで個体間の相互作用ばかりに注目していたので…。
著者らがマルチエージェント・シミュレーションの先駆けとして挙げているトーマス・シェリングの分居シミュレーション以上の意義がSugarscapeにあるだろうか? シェリングのシミュレーションの意義が、非常に単純なルールに従って局所的に行われるミクロな相互作用の積み重ねの中からマクロパターンが創発する不思議さ、また、ルールの微細な変化がときに大きなマクロパターンの変化を引き起こす不思議さに人々の目を向けさせたことにあるとするなら、Sugarscapeの意義は、一般に社会の異なる側面として取り上げられている様々な性質(人口規模、所有財産の社会的格差、自然環境の季節変動、文化伝播、遺伝子進化、資源の交換取引、社会制度、等)が互いに非線形的な効果を及ぼし得ること、つまり、それぞれの側面を単独で取り上げることの危うさをデモンストレートしている点にあると言えるのではないか。
そのような意味で、Sugarscapeは、社会諸科学がそれぞれ独立に成立することが不可能であることを示してはいるものの、マルチエージェント・シミュレーションという“コンピュータ上の実験室”が、統合された新しい社会科学を成立・発展させる「道具」になり得ることまで示すものではないと思う。そのような道具はこれから創り出していかなければならないのだ。
本文約180ページ。
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