『努力よりコツ! ピアノがうまくなるにはワケがある』
角 聖子(著)
2012年
音楽之友社
☆☆☆☆
大人になってからピアノを習い始めた「大人のピアノ学習者」を対象とした「譜面通りに弾けることよりも大切なこと」。「技術にばかり目を取られていると、どんどん音楽性が失われていく」という(至極当然なのに)言われなければ気付かない貴重な指摘。
5章22節構成。大まかなテーマ毎に「大人のピアノ上達法」に関する短めのコラム(平均すると、各節7ページ程度)が並んでいる。講演会の語り口調のような文章で、判型サイズが小さく1頁当たりの字数もそれほど多くないので、すぐに読み終えられる。本を読むのが速い人なら、1日で読めてしまうのかもしれない。
内容は良いのに、タイトルが良くない。一見「努力否定論」「練習不要論」のように見えるが、本書の発している(非常に明快な)メッセージの方向性は少し違う。大人になってからピアノを習い始めたような人はマジメな人が多く、「楽譜通りに弾かなければならない」とガチガチの近視眼的になっている人が多いらしい。ところが著者に言わせると、そうなればなるほど、演奏から「音楽性」が失われていくのだと言う。意地になって(←重要ポイント)練習した挙句、技術的に越えられない壁にぶつかり、「自分には才能がない」とピアノそのものを辞めてしまう人も多いのだとか(と言うか、辞めてしまう人はこういうパターンを辿りがちらしい)。それはあまりにも勿体ない、と傍から見れば誰だって思うだろう(ところが、本人は…)。まぁ、人生ってそういうもの。自分自身に対して「他人事」的態度を取る方が正しいこともある。僕なりにタイトルを付け直すとしたら、『ピアノを辞めずに済む方法』かな。
著者が伝えたいことは「楽譜通りに指が動く(音を出せる)ことが『ピアノが弾ける』ということではないんだ」ということに尽きるのだと思う。僕なりの言い方をすれば、「オルゴールになるな」ということなんだと思う。オルゴールは決められたタイミングで定められた高さの音が出る「音楽再生機械」。ところがまさにそれは「機械的な演奏」であって、(オルゴールには悪いが)そこに「音楽性」と呼べるようなものはない。ところが、大人のピアノ学習者は自らオルゴールになろうとつい躍起になってしまう、ということなのだろう。だから著者は繰り返し、技術そのものよりも、自らの感性を磨いて、音楽的な「表現」を追求すべきなのだと言っている。そのことに比べたら、「譜面通りに間違いなく弾けたかどうか」なんて二の次なのだ、と。技術は目的ではなく手段。
確かにカラオケに行けば、プロ歌手のようには歌えなくても皆それぞれ自分なりの「歌」を楽しんでいる(プロ歌手と自分を比較する発想すらない)。ピアノだって同じように「楽しむ」ことができるハズなのだ。それなのにどうして…、と教室を去っていく生徒さんたちを見てピアノの先生は思っているワケですね。技術の向上以外にも音楽を楽しむ術というものは確かにある。一般的には「易しい曲」とされている曲でも、和音を綺麗に響かせるだとか、少し大袈裟に抑揚をつけてみるだとか、装飾音を軽やかに楽しげに弾くだとか、その曲を輝かせる方法はいくらでもある! もちろんそのためには技術も必要なんだけど、技術を身に付けることが「主」ではなく、表現が「主」、技術は「従」なんだと。
タイトルにある「努力よりコツ!」という場合の「コツ」として強調されているのは、技術面では「自分の出している音をよく聴いて、聴覚と指の動きを連動させる」こと、表現面では「歌心を忘れない」こと。ピアノはややもすれば「音楽」から気持ちが離れたまま「ただ指だけ動いている」状態になりがちなんだとか(この場合、「それでも弾けてしまう」というのはピアノという楽器の「悪い面」)。音楽というものには作曲者の感情表現なり情景描写なりの何らかの意図があるワケで、その意図を楽譜から読み取って演奏者なりの表現力で演奏していかなければならない(それができるのが「ピアノが弾ける」ということなのだ)。ところが、技術的側面からのみ楽譜を見ていると、そういった曲想の解釈や表現にまで気が回らなくなってしまう(楽譜をジックリ読まずに、とにかくすぐに弾き始めてしまう人が多いらしい)。著者が「努力よりコツ!」と言うのは、技術的な課題をクリアすることよりも、楽譜から読み取ったものをどう表現するかの方が「音楽」にとってずっと大切なのだ、ということ。ここでも「技術より表現」=「表現が主、技術が従」。コツさえつかめば努力は必要ないから要領良くやりなさい、という話とはだいぶ違う。
本書についてのAmazonレビューを読んでいて、ワザワザ「努力も必要だと思います」と書いている人を何人か見かけた。著者も「努力は不要だ」とは言っていないのだ。「意味のない努力はしない方がいい」と言っているに過ぎない。「意味のない努力」とは、うまく弾けない原因を特定せずに機械的な反復練習で克服しようという試み。これが何故いけないかと言えば、まず、弾けない原因に対する根本的な対処になっていないこと、意地を張ってやり続けるので、身体に余計な力が入り過ぎてしまうこと(上手く弾くには適度に脱力している必要がある)、楽しくないこと(練習を続けるモチベーションが下がってしまう)、そして何よりも「音楽」が蔑ろにされてしまうこと、等々。なるほど、著者が「百害あって一利なし」というのも頷ける。
本書にはこういった価値観の話だけでなく、もちろん具体的な練習法や実際の弾き方についてのアドバイスもある。僕自身は現在ピアノに取り組んでいるワケではないので何とも言えないが、ピアノを習っている人にとっては「あ!そうか!」というような「目から鱗」の有益な指摘もいろいろあるのだろうと思う。また、後になって「あの本に書いてあったことって、このことか!」とわかるようになってくることも多いのではないかと思うので、傍らに置いておいて繰り返し読むと良いと思う。
ちなみに僕のアンテナに引っ掛かったのは次のような言葉。
- 大人は子供よりも上達が早いんです。
- 概して、大人は基礎不足。
- ピアノは練習量よりもいかにコツを掴むかにあります。
- ピアノを習得していくには、柔軟な発想が必要です。行き詰る傾向のある人たちを見ていると、わざわざ苦手なところに固執しているようにも見えます。
- 大人の学習者は「まず、弾こう!」となってしまうため、聴く力感じ取る力が育まれていない人が少なくありません。
- 音の間違いには敏感でも、響きの雰囲気まで聴いている人は少ないです。
- ピアノは手の動きを聴覚と結びつけて覚えることがとても大切なのです(後略)
- ピアノはただ指を動かしていてもうまくはなりません。音を出しているだけでもだめです。
- ピアノは弦楽器のように耳を使って音程を作る必要はないし、管楽器のようにブレスも要らない。ということは、音楽的ではない楽器ともいえるわけです。つまり、音楽を感じていなくても、ただ指さえ動かせば弾けてしまうということですね。
- ピアノをやる人は、指を動かして音を出すことにまず気がいくのか、譜面を眺める習慣のある人はあまりないように思います。
- 大人は何拍子かということに意識がない人が多いようです(後略)
- 結局は、音楽の魅力をひとつでも多く発見できればいいのですから。
- 完璧に弾くより、もっと大切なことがある。
最後に著者が「趣味としての音楽の意義」として挙げているのは、「自分の世界を広げていく」あるいは「深めていく」こと。「弾けば弾くほどピアノは難しい」、それは悩みの種でもあるけれども、自分の世界を深めているとも言えるのだ。それを楽しむことが苦悩を喜びにかえる「コツ」、生きていることに意義を見出す「秘訣」なのかもしれない。
本文165ページ程度。

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