『学歴分断社会』
吉川 徹(著)
2009年
筑摩書房
☆☆☆☆☆
「ちくま新書」の「772」。2000年代後半のキーワードであり多少混乱もきたしていた「格差社会」論を「学歴」という観点から整理してみよう、という、中堅(?)の教育社会学・計量社会学者による一般向けの本。「さすが筑摩書房!」という面白さ!
アベノミクス前の最大のキーワードでもあった「格差社会」論の混乱した状況を、計量社会学の手法を用いて整理してみよう、という本。著者に言わせれば、「格差社会」の様々な側面を最もよく説明する変数はズバリ「学歴(大卒/非大卒の別)」だと言う。現在の日本の人口は、最終学歴が大学院・4年制大学・短期大学である「大卒層」と、専門学校・高等学校・中学校である「非大卒層」にほぼ二分されているらしい。社会的・職業的地位も、世帯収入の多寡も、各家庭の価値観(家風?)も、最終学歴でほぼ説明できてしまうのだとか。本書において著者は、「学歴」という観点から「格差社会」の様々な様相を理解することができることを示し、親の学歴が子の学歴を再生産していく(比喩的に表現すれば「格差が遺伝する」)メカニズムを明らかにする。「望ましい社会とは如何なるものか?」と考えさせるところもある。(社会学というものはそういうものなのかもしれないが)「ミクロ的」と言うより「マクロ的」な観点に立っているのかな?
数年前に『
学歴・競争・人生』(吉川徹・中村高康(著) 2012年 日本図書センター)を読み、著者の提唱する「学歴分断社会」というキーワードを知って以来ずっと読みたいと思っていた。ようやく読んだ。面白かった。同時に「もっと早く読めば良かった」と少し後悔もしている。著者は2000年代後半の「格差論バブル」を意識して書いており、(学術的な内容の本ではあるが)「賞味期限」が比較的短めの本かもしれない。
何かを「明らかにしよう」というより「整理しよう」という本。読み終わって「そうか! そうだったのか!」と驚くような結論が書いてある本ではない。ただ、それでも、本質的にヤヤコシイものをヤヤコシイまま、複雑に絡み合った糸を1つ1つ解きほぐしていく様を見ると、やはりこういう本を読まないと!という気になる。ここしばらく、こういう頭の働かせ方を全くしていなかった。久々にちゃんとした本を読んだ、という印象。
新書としては異様な熱さ! 『
心はどのように遺伝するか』(安藤寿康(著) 2000年 講談社)あるいは『
人体 失敗の進化史』(遠藤秀紀(著) 2006年 光文社)並みに熱い本ではないか(「厚い本」ではない)。社会科学って面倒臭いものだなぁと思うのは、対象そのものだけでなく、対象の「論じ方」についてまで論じなければならないところ。単に「データを見て白黒つけようぜ」では済まない面があるのだろう。丁寧過ぎるほど丁寧に議論が進められており、逆に言えば「細かい議論はいいから結論だけ早く言って欲しい」というタイプの読者には本書全体が冗長に見えるだろう。「こだわりポイント」が異なるのだ。著者は根っからの学者さんで「正しい論じ方をしていること」は絶対に譲れないライン。ところが、「正しく論じられているかどうか」を気にする読者はそれほど多くない(笑)。
学術専門書である『学歴と格差・不平等』(吉川徹(著) 2006年 東京大学出版会)の内容を一般読者向きに書き直したものなのだろうか。文章そのものは易しく書かれており非常に読み易いが、内容のレベルまで落としたワケではないようだ。「難しい」と言うか「理屈っぽい」。おそらく著者には、似たような概念が明確に区別されないまま十把一絡げにされた議論が我慢ならないのだろう。むしろ一般の読者は、いろんなものが一緒くたにされた議論の方に説得力を感じたりするのではないだろうか(傍証がたくさんあるように思われるワケだから)。ところが、学者さんにはそれが(我慢できないほどに)気持ち悪い(笑)。
ワクワクするほど面白かったし、著者も実に優秀な人だなぁと思うのだけど、『学歴・競争・人生』を読んだときと同じ違和感をおぼえた。著者は「学歴」(あるいは「学歴獲得競争」そのもの)に非常に大きな重要性を認めているように見える(単に現実を説明する「変数」として以上に)。本書において著者自身を突き動かしている最も根源的な問いは、おそらく「大学に進学しない若者が何故こんなにたくさんいるのだろうか?」というものだろう(本書執筆当時の大学進学率はだいたい55%くらい。逆に言うと、18歳人口の45%は大学進学を目指していない)。ところが僕は、「皆が皆『大学へ行きたい』と思う(と思っている)方がオカシイ」と思っている人間なので、著者のこの問い自体が何だか腑に落ちない。おそらく著者には「可能なら大学へ進学した方が明らかに良い(その後の人生において明らかに有利な選択である)にも関わらず、何故『敢えて進学しない』のか、どうにもわからない」という想いがあるのだろうと思う。本書はこの想いに答えを与えようとするものでもあるワケだが、僕にはこの想い自体に共感できないので…、「著者には何故この現実がそれほど不思議なのだろうか?」という想いがフツフツと沸いてきてしまう。まぁ、これは世代の違い(著者の方が僕より4〜5歳年上で、「受験戦争」の絶頂期により近い世代)や、出身地域の違い(僕は「受験戦争どこ吹く風」みたいなノンビリした地方都市で育った)、あるいは生まれ育った家庭の価値観の違い(僕の母は「子供の自主性に委ねる」という子育て方針で「勉強しろ」とは言わなかったし、父は「ホドホドで充分じゃないか」という努力不要論者)の故なのかもしれない(更に僕自身の性格的な特徴として「上昇志向の欠如」が挙げられるのだろうとも思う)。
それと「人生における『戦略』の重要性」、これも著者は非常に重視しているように見える。ところがこれまた僕は正反対で、「戦略性の欠如」も僕の顕著な特徴である。そういうこともあって、僕自身としては「学歴の戦略的価値」という切り口よりも「大卒層/非大卒層の家庭の『文化』」といった切り口からまとめられた方がピン!ときただろうと思う。大卒層と非大卒層では、親の社会的・職業的地位、年収・資産、生活の安定度、家庭の価値観が異なり、そうなると当然「子育て戦略」が異なってくる。そのことによって、大卒層の家庭からは大卒層の子が、非大卒層の家庭からは非大卒層の子が再生産される。そこに経済的な格差があるなら、こういうメカニズムによってその格差は維持されていく…。こういう話として理解するなら(と言うか、こういう話なのだが)、逆に何の疑問もわかないくらい当然の話のように思う(善悪は別にして)。「学歴」が最も重要な変数だ、という点は理解できるのだが、その「学歴」と分かち難く結びついた「文化」が決定的に重要なのだ、という話にしてくれた方が僕にはシックリくるようだ(「文化的再生産論」については第4章で触れられている)。
本書には、「現実を知らない学者さんの空論」というような批判があるようだ(特に第7章で述べられている「提言」に関して)。ただ、「SSM(「社会階層と社会移動調査」)等のデータ分析を通して、現代日本社会のマクロ的な現実を浮かび上がらせる」ということこそ本書のコンセプトであるので、こういった批判はやや的外れなように思う。「現実」(なるもの)と直接接しなければ見えてこないものもあれば、大規模な社会調査データを扱ってみなければ見えてこないものもある。そして、計量社会学者に求めるべきは後者の仕事なのだ。
本文220ページ程度。

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