2005/12/14  20:26

ハリー・ポッターと炎のゴブレット (その4)  ハリー・ポッター

気まぐれにばらばらと書いている感想ですが、これで最後にします。今回はネタバレ入り。

もうひとつ言っておきたいことは、脚色と編集のうまさ。もう、ばしばし次へ行く感じで、小気味いい。これを見た直後にテレビで「秘密の部屋」を見たら、かなりダラダラしているように感じた。このへんは監督の違いなんでしょうか。

マイク・ニューエル監督は英国人で全寮制の学校へ行っていたそうで、だから寄宿舎生活の雰囲気が他の映画より出ている−なんていうのを海外評論でよく読みますが、それは別に感じなかったなあ。(監督や俳優がどこの国の人だから、個人的にこういう経験があるから−というのは、一般的にあまり当てにならないと思う。)

「脚色のうまさ」に入るけど、レギュラーメンバー(スネイプ、マクゴナガル、ハグリット、マルフォイ、双子)が、実際にはカメオ出演ぐらいしか出ていないのに、それぞれにすごく「らしい」シーンをピックアップしてあるので、出番が少ない割にはちゃんと印象に残っているのもうまいと。

(関係ないけど、英国では「フェレットをズボンに入れる」っていうのはお約束なのかな?英国TVのラッセルのインタビュー番組で、そういう話が出ていたような。)

このシリーズが1作目から文句ナシに優秀なのはキャスティングですが、今回も新登場キャラのキャスティングは文句のつけようがない。ムーディ(ブレンダン・グリーソン)、リータ・スキータ(ミランダ・リチャードソン)あたりは名優だから当たり前だけど、若い4人(クラム、フラー、セドリック、チョウ)も、ぴったり役どころに収まっている感じ。演技がうまいと言うより、たぶん、監督の演技指導がうまいんだろう。エマちゃん(ハーマイオニー)だけは、今回ちとオーバーアクト気味に感じたけど。「女優開眼」したか?(やめて〜)

(リータ役ミランダ・リチャードソンは監督の奥さんだそうだけど、ベラトリクス役でもよかったかな…と思った。「クライング・ゲーム」の冷血女テロリスト役が印象に残っているせいかも。)

以下ネタバレ

今回一番感心したのは、実はセドリック役の子なのです。難しい役だと思う…演じるのがというより、全体的な扱い方が。原作を読んでいる人なら(いや…宣伝のネタバレぶりを見ると、もしかしたら読んでいない人も)、初めて登場した時から「ああ、この子死ぬんだな」と思ってしまうことは避けられないし。

原作未読で1作目、2作目を観た時、「キャラクター紹介が急ぎすぎているので、その人が『実は悪い人でした』と分かっても『だから?』って感じ」−という意味のことを書いた。4作目ではさらに時間制限がきついだろうから、じっくりキャラ紹介している暇なんかないし、下手をするとセドリックも「死ぬために出てきた」みたいになってしまうだろう−と、観る前は思っていた。

まあ、「死ぬために出てきた」感を完全に拭うのは不可能なのだけど。(そもそも原作のセドリックだって、そう言えないことはないし。)

それでも、このセドリックは、いい。まず、顔がかわいい(<重要)。どことなく不器用そうな佇まいもいい。(キャスティング段階で7割方成功している。)初登場で木から飛び降りてきたり、ドラコ・フェレットを見て笑っているのがちらりと映ったり、ハリーに卵のことを告げるシーンで、何だかやたら慌てていたり…短い登場時間で、好感のもてるフツーの青年をきっちり印象付けていると思う。

…以上のような理屈は、後づけで考えたわけですが。というのは、映画で彼の死を見た時、私は意外なほど素直に、ショックと悲しみを感じたからです。(簡単に言うと、泣いた。)もちろん、どこでどうやって死ぬのか、よーく知っていたのに。そして、この死が何を意味するのか、改めて考えたりもした。もしかしたら、原作読んだ時よりじっくり考えたかもしれない。

これって、映画化としては、これ以上ないほどの大成功ではないかと。

(あ、でも…4巻は翻訳版で読んだので、かの有名な「タテ書きトム・リドルの墓」の衝撃が強烈すぎて、他の衝撃がふっとんでいたのかもしれない…(笑))

原作で一番悲しいのは、セドリックの両親が病棟にハリーを訪ねてくるシーンでした。映画では、時間の関係でそれをカットしている代わりに、父親が「第三の課題」を応援に来ていて、ハリーがセドリックの遺体と共に帰ってくる瞬間に立ち会っているという設定になっている。実に上手いけど、残酷な脚色だったなあ…



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