2007/9/13  21:58

映画評論というフシギなもの・その2【さらにえらそう注意報】  映画・俳優一般

前回までのあらすじ(嘘)

Kumikoは中学1年の時から高校ぐらいまで「スクリーン」誌や「ロードショー」誌を毎月買っていて、プロの評論家による映画批評を読むことは「映画ファン」としては当たり前で必須の行為だと、なんとなく思い込んでいた。しかし20代に至り、映画評論家の文章にしばしば違和感(というか、ほんとは反感)を覚えるようになった。そして、「ダンス・ウィズ・ウルブス」のあまりにばかばかしい評論をきっかけに、ひょっとして映画評論なんか、全然読まなくたってまったく支障ないんじゃないか、と思い始める。


(以下の文の大筋は、その頃(91年頃)に考えたことです。当時インターネットは、あるにはあったのでしょうが、まだまだ一般の人が何か書いたりするような段階ではありませんでした。ですので、ここで言う「映画評論」というのは、プロによって活字媒体に発表されていたもののことです。)

そういうわけで、生まれつき理屈っぽい私は考え始めたのでした…いったい、評論とか批評って何だろう。どういう意義があるのだろう。

ブロードウェイの役者や演出家を主人公にした映画やドラマで、こういうシーンがよくありますよね。初日の翌朝、新聞に一斉に劇評が出る。主人公は新聞を全部買って、ドキドキしながら劇評を読み、褒められているので有頂天になる…または、ボロクソにけなされているので、新聞をひっちゃぶって酔いつぶれ、芝居は早々に打ち切りになる。

私はいつも「翌日の朝刊に間に合うなんて、何て書くのが速いんだろう」と思っていたのですが…それはともかく、本来あれこそが「批評」ですよね。作品を創った人々がやきもきと気にする。ダイレクトに作り手に届く。その作品が成功か失敗かを決定する。(その判断が、いつも正しいかどうかはともかく。)

それを考えると、日本において日本語で書かれる外国映画の批評って何なんだろう、と疑問に思えてきたのです。作り手に読まれることはまずない。気にもされていない。その作品が成功か失敗かは、日本公開される時点で既にだいたい決まってる。それは「批評」とか「評論」とか呼べるものではないのではないかと。

まあでも、本来的な意味で「批評」「評論」と呼べるものではなくても、その文章に意義がないなんてことはないかもしれない。他にも意義はあるじゃないの。たとえば…

・その映画を観に行くかどうか迷っている人に判断材料を与える。
・ただ単に、読んでいて楽しい。

しかし…

書いたように、私は15年以上ほとんど映画評論というものを読んでいないので、今はどうだかわからないのですが…少なくとも当時は、「観に行くかどうかの判断材料になる」ような評論はほとんどなかったのです。まず、褒めているのかけなしているのかよくわからんのが多いし、「どういう物を求める人にお勧め」という視点もなく、そもそもそれ以前の問題として、変なとこでネタバレしているものが多いので、観る前にはうっかり読めない。

そして、読んで楽しいかどうかですが…楽しいものがないわけじゃないけど、映画評論家という肩書きでない人が書いたものが多いのですよ。イラストレーターとか、作家とか。

とにかく、私は結論に達したのです…映画評論、読む必要なし。

それ以来、私は映画雑誌は、その頃には批評ってモノを一切載せなくなっていた「ロードショー」しか買わなくなりました。一番写真がキレイだったから(笑)。

つづく(かもしれない)。




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