2009/9/13  22:11

「3時10分、決断のとき」相変わらずヘンな感想  ラッセル・クロウ&ポール・ベタニー

なかなか観に行けなくて、「ぐずぐずしていると終わってしまう!」とか思っていたら、いつの間にか拡大公開になっていました。嬉しい。

というわけでやっと観に行きました。

すでにDVDで観ていたのですが、前に観たときとはまた違った見方ができて、改めて良くできた、面白い映画だと思いました。

で、「ヘンな感想」というのは、この映画を見ていて、ラッセルのカッコいい無法者ぶりや脇役陣のキャラ立ちっぷりを楽しみつつも、あることが頭から離れなかったのです。

それは、最近のアメリカの健康保険制度改革に関する大騒ぎのニュースを見ていて、非常に気になっていた、制度改革に反対する人たちの(公的保険が当たり前だと思っている私たちから見れば)アホらしくも思える、わけのわからん反対意見なのです。

「保険に入っていないのは健康な若い連中で、自分は病気にならないと思って入っていないからかまわないんだ」...はあ?そういう人たちにこそ保険に入らせないと、そもそも保険が成り立たないじゃん。「他人の医療費をおれに払わせようとしている。そんなもの、払ってやるもんか。」...あの〜、そもそも保険ってものがどういう仕組みになってるか、わかってる?

そういうことを考えつつ、久しぶりに西部劇を観て、「あ、そうか」と、なんとなくわかったような気になったのです。

つまり、アメリカ人の多くはいまだに、「おれは政府の世話にならず、他の誰の世話にもならず、自分の力だけで生きている」という幻想に取りつかれているということです。そしてそのメンタリティは、つまり西部劇の時代から来ているんだなあと。

でも、人々が本当に政府の助けもなく、自力で生きていかざるを得なかった時代の話をこうして観ていると、現代アメリカ人が「自立自助、独立独歩で生きている」なんて思うのは、本当に幻想以外の何物でもないよなあ、と思います。

なにしろこの映画の主人公のダンなんて、南北戦争で徴兵されて首都ワシントンを守るために戦って片足を失ったのに、国はほんのはした金をくれただけで追っ払われ、農場を作ってみれば水源を上流でせき止められ、不法な妨害をされてもそれを訴え出る先もなく、保安官は守ってくれるどころか助手が嫌がらせに納屋に火をつけにくる。金のために無法者を護送して行っても、無法者の忠実な部下が金をばらまけば、たちまち町中が銃を向けてくるし、保安官はさっさと逃げ出してしまうし...

こんな、無法者になる方がいっそ筋が通るような世の中で、真っ正直に生きるのがどんなに大変か。悪の道に心が傾きかけている息子にまっとうな道を選ばせるためには、どれほど命がけで誇りを示す必要があるか。

私、この映画を最初に観た時は、この主人公のダンにもあまり感情移入できなかったのですよね。どうも、家族に対して父としての誇りを示そうとするあまり、かえって家族を苦しめている、よくいる父親像のような気がして。でも、今回また観てみて、それは違うと考え直しました。彼は、本当にこうするしかなかった。お金のこともあるけど、それより、彼はもう何が何でも、息子の尊敬を勝ち取らなければならなかったんです。

当時とは全然違う現代アメリカで「おれは政府の助けなんか借りずに自力でまっとうに生きてる、他の連中もそうすべきだ」なんてうそぶいている人々は、本当に昔の西部に行って...いやそれは無理だから、現代のアフガニスタンかジンバブエにでも行って、本当に自力でまっとうに生きられるかどうかやってみれば?と思いますね。



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