2010/7/7  23:54

【映画感想】闇の列車、光の旅 ☆☆☆1/2  映画感想 2008年〜

父と叔父と一緒にホンジュラスからグァテマラ、メキシコ経由でアメリカを目指す少女と、彼女を助けたために所属するギャング組織から裏切り者として追われることになるメキシコ人青年の、北へ向かう旅の話。

ストーリーそのものは古風で、中米の貧しい地域の風景にもなじみがなく、まるで昔の話を見ているような気分になったりするのだけど、主人公の青年が、盗品のデジカメで恋人のビデオを撮っているシーンなどに、これはまさに現代の、現実の話なんだと思い知らされる。

この映画で一番衝撃的なのは、実は主人公の青年の話でも少女の話でもなく、青年がギャングに引き入れる12歳ぐらいの少年のエピソードです。このギャング、入団りする時は「儀式」とか言ってめちゃめちゃ殴られるし、いきなり「忠誠を示せ」って人殺しをさせられるし、掟に背いたら文字通り地の果てまで追っ手がかかるし...何より、メンバーになっても女にモテたり大金を手にしたりという「美味しい思い」すらできそうもないのですが(ボスから下っ端からその家族から、みんなで床に座ってぼそぼそご飯食べているシーンが印象的)、それでも入団するんだよなあ。

人間、何かには所属せずにいられない。学校にも社会にも放っておかれた若者たちは、犯罪組織がまとめて面倒をみる、ということか。

ほとんど着の身着のままで、若い女の子を連れてあんなに危険な旅に出る少女の家族もそうだけど..つい、「どうして、こんなに割りの合わないことを?」と思ってしまう。それは、なんのかんの言って、そこそこ割りに合う選択肢を与えられていることに慣れちゃっているからなんでしょうね。

この映画には、そのまんまな貧困の描写はあまりないのだけど...青年や少女やその家族、そして何より、ギャング組織の忠実なメンバーになる幼い少年の姿に、「他に選択肢がない」どうしようもなさが浮かび上がる。

先日見た「Faces of America」という番組で見た、19世紀〜20世紀半ばぐらいまでにアメリカに来た移民たちと、今のこの移民たちと、ずいぶんイメージが違う、どこが違うのだろう、と考えていたのですが...昔の移民は、アメリカに何が待っているのかあまり情報がなくて、盲目的に希望を抱いて出発したのだろうという気がします。(来るまでも来てからも苦労の連続なのは同じですが。)

今の移民たちは、アメリカに行ったからといって未来はバラ色じゃないことを、あらかじめよく分かってる。それでも、行く。希望の持てない生活より、ちょっとでも良い生活、よい未来の可能性があるなら...たとえ自分はアメリカへ行っても貧困で終わったとしても、子供たちが自分よりよい生活を築ける希望があるなら。たとえ自分は一生不法移民のままでも、アメリカで子供を産めば、その子供は堂々とアメリカ国民になれるのだし...

先日、「The Colbert Report」のゲストに、テキサス州のある市長さんが来ていて、スティーブンがアリゾナの新法のことを質問すると、自分は反対だと答えていました。(でもそれは「やり方」がまずいという理由で、不法移民の取り締まり強化自体は賛成らしかったのですが。)で、その市長さんは「われわれテキサス州はアリゾナ州よりも効果的に国境を守っている」と自慢げに言って、スティーブンに「そりゃそうですよ、テキサスには川があるんですから!」とつっこまれていました。

このThe Daily Showのセグメントで、自称国境警備隊のおっさんらが「アリゲーターを放せばいい」と言っていた川ですね。(リオ・グランデ川)

その川を渡るシーンは、この映画でもとりわけ忘れがたい印象を残すものになっています。

思ったのは、たとえ馬鹿馬鹿しいほど金をかけたフェンスが立ちはだかっていようと、パラノイアなおっさんたちが他に仕事もせずに四六時中見張っていようと、たとえ川にアリゲーターがいたとしても、彼らは国境を越えようとするのをやめないだろうということです。なぜなら、そこまで来てしまった人々には、もはや帰ろうにも帰るところがないのだから。

少女に川を渡らせるために、青年がかけがえのないものを手放すシーンは、ともすれば簡単に使ってしまう「何もかも捨てる」という表現の本当のところがリアルに感じられて、ある意味その後のシーン以上に、涙なくしては見られなかったのでした。



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