2007/5/27  19:56

デッド・ゾーン #1-13「宿命」〜destinyとfate  海外ドラマ:デッドゾーン

第1シーズンのフィナーレでは、ストーリーは急に原作に戻って、「卒業パーティの火事」と「グレッグ・スティルソンとの出会い」という、原作後半の二大重要ポイントがいっぺんに出てきます。

シーズン・フィナーレのサブタイトルになっている"Destiny"は、第2シーズン以降よく出てくる言葉なのですが…タイトル通り、今後のジョニー・スミスの運命を決定的に示すエピソードになっています。

<以下、原作&第13話ネタバレ>

パーディ:君が選んだ人生じゃないことは分かるが、人生の方が君を選んだ。何か別の力が、君の見るものを選び、君を導いている可能性は否定できないだろう。
ジョニー:はっきり(神と)言ったらどうですか。言いたくてたまらないんでしょう。
パーディ:運命(destiny)だよ、ジョニー。人を助けるのが君の運命だ。私は心からそう信じている。
ジョニー:僕は常々、運命(destiny)というのは、宿命(fate)を楽観的に言っているだけだと思っていました。


日本語の「運命」と「宿命」の違いはよくわからないけれど、英語では

destiny = 自分以外の力によって定められているけれど、自分の力で成就させる/させなければならない運命
fate = 自分が何をしようと降りかかってくる、避けられない悪い運命

…というニュアンスがあるようです。

たとえば、恋人に「君は私のdestinyだ」とは言うけど、「fateだ」とは言わないよね。

…"fatal woman"(フランス語でファム・ファタールfemme fatale=宿命の女、魔性の女)という言葉はあるけど。

このエピソードで、ジョニーがふざけてデーナのことを「ファム・ファタール」と呼んでいたけど…私は常々、「魔性の女」っていうのは、どちらかというとサラみたいなタイプではないかと思っています(と、いきなり女関係の話になる。)

このエピソードで、サラはついにその"fatal"っぷりの片鱗をのぞかせるのですが。

いや、またむちゃくちゃを言うようですが…もし仮に、サラが「ジョニー、私やっぱり、どうしてもこのままじゃ気がすまないのよ。さあ『一夜の過ち』しましょう!」…とか言ってきたのなら(いや、そんなこと言うわけないけどさ)、かえって好感持てたかもしれない。意図ミエミエに夜遅くひとりで訪ねて来ておいて、「鍵を返しに来た」とか「指輪を返しに来た」とか…きー、いい加減にせい!

…ま、本気で怒っているわけじゃなくて、ココロの半分は「こういう展開も面白いからいいか」とか思っている私すが(笑)。

サラがファム・ファタール…「男を破滅させる女」かどうかってことは…まあ、この際それどころじゃないか。なにしろ、このシーズンフィナーレでは、「世界を破滅させる男」グレッグ・スティルソンが、ようやく登場するのですから。

さて、原作のスティルソンは、ヒトラーその人のイメージをかなり取り入れていて、元暴走族の親衛隊みたいなのを率いて、庶民の味方を装い、聴衆の熱狂を誘う強烈なアジテーション演説を武器に、既存の体制を徹底的に攻撃することで、不満を抱く人々の人気を集めてゆきました。

こういう人が大統領になるというシナリオが現実味を持つには、かなり大きな社会不安・不満と閉塞感が背景になければならないと思います。原作が書かれた、ベトナム戦争後の1970年代という時代を反映していたのかもしれません。

それに引きかえ、21世紀バージョンのスティルソンは、庶民の味方を装う演説上手なところは同じですが、若くてハンサムでカリスマ性があり、洗練されたネオコンって感じ。DVDの音声解説でアンソニー・マイケル・ホールが「ブッシュとクリントンをあわせた感じ…」と言っていたけれど、どっちかと言うとやっぱりブッシュかなあ。

爽やかなんだか陰があるんだかよく分からない、ちょい崩れた美形のショーン・パトリック・フラナリー、まさにずばりの適役です。上手いなあこの人も。

あと、原作のスティルソンはジョン・スミスよりかなり年上でした。テレビドラマ版では(ジョン自身が原作より年上の設定ということもあって)二人はほぼ同年代。

そして、終末のヴィジョンが初めて見える時、原作ではスティルソンとジョニーは「選挙の候補者と(無名の)一有権者」として握手していました。ドラマでは、二人が並んでキャンペーンの壇上に上がり、パーディをはさんで三人で手をつないでいます。

原作のジョニーは、自分より遥かに大きく強いものに対して絶望的な戦いを挑んでいた、というイメージがありました。まあ、テレビドラマ版でも、基本的にはそうなんでしょうけど…でも、同年代になったことと、(少なくともこの時点では)「同じぐらいの有名人」であることで、「ジョン・スミスvs.スティルソン」は少し「対等な戦い」に近くなったイメージがあります。「コインの表と裏」というイメージもある。単純に「善と悪」で割り切れない含みもある…かもしれない。

この二人の戦いが、テレビ版ではどう展開してゆくのか、ここではまだまだ分からないのですが。とにかく、いよいよ面白くなってきたところで、第2シーズンに続くのでした。



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