2007/7/3  20:08

デッド・ゾーン #2-15「デジャ・ヴードゥー」〜恋はデジャ・ブ  海外ドラマ:デッドゾーン

原題:Deja Voodoo "deja vu"(既視感)と"voodoo"(ヴードゥー教、魔術)を合わせた造語

このエピソードの音声解説で「Groundhog Day(邦題:恋はデジャ・ブ)」の話が出ていたので、懐かしくなって、レンタルで再見してしまいました。

1993年の映画「恋はデジャ・ブ」は、アメリカでは大ヒットしたのに、日本ではまったく何の話題にもならず(コメディにはよくあることですが)、ガラガラの映画館でひっそりと公開を終えたのですが…ここ数年になって、DVDで見た人の間で「隠れた名作」として評判とか。

自慢じゃないけど、いや自慢だけど、私なんかちゃんとロードショーにいそいそと駆けつけて観たし、最初から高く評価してたもんね!…と威張ってみたところで、当時はブログはもちろん、サイトも持っていたわけじゃないし(そもそもコンピューターを買ったのが96年だった)、証拠は残っていないのでした。

で、このエピソードと「恋はデジャ・ブ」がどう関係あるのかというと…それを言ってしまうと両方のネタバレになるので言いませんが、よかったら両方見て、比べてみて下さい。どっちも面白いよ。

と、言いたいことは要はこれだけなのですが、これだけでは何ですので…

このエピソードですが、実に重要なテーマを提示している話なのです。それは一言で言えば、「果たしてデッド・ゾーンはナンパに利用できるのか?」ということ。

(今回の推薦関連映画:「恋はデジャ・ブ」)

<以下、第2シーズン15話&「恋デジャ・ブ」ねたばれ…というか、見ていなければさっぱりわからんであろう話。>

今回、「恋はデジャ・ブ」を見直して気づいたのですが、この映画の状況は「デッド・ゾーン」と共通するところがありますね。それは、「他は定まっていて、主人公の行動のみが唯一の『変数』である世界」ということです。

ジョニーと「恋はデジャ・ブ」の主人公(ビル・マーレイ)は、「何がどうなるか知っているのは自分だけで、それを変えられるのも自分だけ」という意味では同じ立場なのですが、そのことに対する反応というか、取り組み方の姿勢が、最初から天と地ほど違うのが面白い。まあ、状況も違うし、なにより人柄が全然違うからなんですけど。

もちろん、「デジャ・ヴ」「ナンパ」というキーワードでつながる(?)このエピソードがなければ、そもそも「デッド・ゾーン」と「恋はデジャ・ブ」を比べようなんて思いもしなかっただろうけど。

「いつもヴィジョンを人のためにばかり役立てているけど、たまには自分のために使え」とブルースに言われ、珍しくナンパに乗り出すジョニー。

一方、「同じ日(グラウンドホッグ・デイ=2月2日)を何度も何度も何度も繰り返す」という異常な状況に追い込まれて途惑いまくるものの、三日目にはもう、その状況を利用してとりあえずナンパしてるビル・マーレイ。…ま、こっちの方が普通の男でしょうな(笑)。

考えてみればジョニーは、ビル・マーレイが何百回かのグラウンドホッグ・デイを経てようやくたどり着いたところに、昏睡から目覚めた初日から到達しているわけですが…その割には、報われないのよねえ。

上で書いた「テーマ」ですが…結論は「使えない」ということであるようです。

まったく、神様だか宇宙の摂理だかプロデューサーだか脚本家だか知らないけど、ワンナイト・スタンドだって何だっていいから、たまにはジョニーにいい目を見させてあげてもいいんじゃないのかなあ。長生きできないかもしれないんだからさ。(<ひどい)




トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ