2004/2/27  22:13

映画好きとして(わたしがしつこいわけ。)  映画・俳優一般

またまた「マスター・アンド・コマンダー」の宣伝問題ですが…今まで私は、主にこの映画のファン、そして原作ファンの立場でイロイロ言ってきたわけですが、今日はその立場をちょっと離れて、「映画一般のファン」としてこの予告編がどうして困るのかを述べたいと思います。(いかんいかん、こういう口調が癖になりかけているよ。)

この件に関して、「予告編なんて信じてる人はいないよ、特に年季の入った映画ファンは」と言う人が多いのですが、果たして本当にそうでしょうか?私も、年季だけは入った映画ファンです。予告編は、鵜呑みにもしませんが、頭から無視してもいません。

そりゃ、映画の「出来」を判断する上では、あまり信用していないかもしれない。「予告編では面白そうだったから観に行ったのに、全然つまんなかった」っていう体験は人並みにありますし。だから、「アカデミー賞最有力!」「映画史上空前のスペクタクル・ロマン」「全米マスコミ絶賛」「10年に一度の傑作」なんていう惹句は、話半分どころか話百分の一ぐらいに割り引いて聞いています。まあこれは、みんなそうだと思う。

でもね…出来不出来はともかく、その映画が何についての映画なのか、だいたいどういう雰囲気なのかについてまで、予告編がまったく何の判断材料にもならないってことになると、それは困る。ロマンティックな音楽をバックに男女がキスしていたらラブストーリー、勇壮な音楽に爆発シーンならアクション、暗い画面に悲鳴が響けばホラー、子供が「さようなら、母さん」と言っていれば悲しい母子ものドラマ、「戦場にまだ幼い少年たちを送った」とか「僕たちはなぜ戦うのだろう」とか言っていれば、そういう事を問題提議したシリアスな反戦ドラマ。そういうごく基本的な、自然な連想さえいちいち疑ってかからなきゃならないとしたら、それは疲れる。予告編を見ること自体、苦痛に感じる。

「マスター・アンド・コマンダー」級のレベルで予告編と本編がかけはなれているのが「よくあること」ってことになっちゃうと、予告編から「自分の観たい映画かどうか」の見当をつけるのが、100%不可能になってしまう。映画ファン歴30年の経験を駆使して、割引いて、勘を働かせても、完璧にお手上げだ。

「予告編のせいで誤解して(本当は嫌いなタイプの映画なのに)観に行ってしまった」というのは、まあかまわないんだけど、「予告編のせいで誤解して(本当は観れば夢中になってしまうような映画なのに)見逃してしまった」というのは非常に困る。(「マスター・アンド・コマンダー」の場合、前もって知らなければ確実にそうなっていた。)近頃はリバイバル上映もめったにないから、その映画を大スクリーンで観るチャンスは、二度とないかもしれないんだから。

「マスター・アンド・コマンダー」の宣伝についてはもう手遅れでも、この件についてはもう一度ちゃんと言っておこうと思うのは、そういうわけなんです。幸いと言っていいかどうか、ここまで極端な例は今のところさすがに珍しいようですが、放っておくとすべての映画宣伝がこうなりそうで。って、もうなりかけているかな?

なお、この件について詳しくは↓こちらを。

http://www002.upp.so-net.ne.jp/kumiko-meru/mc_senden.htm



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