今回はゲームのマルチエンディングについてのお話。
タイトルの通り、ゴーストオブツシマもマルチエンディング
と言っても、最後の選択肢だけ違うという代物なんですが存在します。
袂を分かった、叔父上との最後の選択。
誉を尊重し、叔父上を討ち取るか、生かすかの二択なのだが。
私は最初の選択では「生かす」を選択した訳で。
これは、冥人に落ちた仁では対馬を治めることがもう出来ないから
叔父上には、地頭として生きていてもらいたいという思いから選択したのですが。
その後、叔父上を討ち取るエンディングを見たことによって考えが変わりましたね。
蒙古を討つ為に、冥人になった仁ですが
蒙古をすべて討ち取った後のことを考えていなかったなと。
強大な敵に立ち向かうために、毒や闇討ちという戦における禁じ手に手に染めた仁
圧倒的、戦力不足の中での勝つための唯一の選択肢だったのは間違いない訳ですが
その結果、蒙古がほとんど居なくなった対馬では
毒殺や、闇討ちが横行したり、冥人の名を騙った詐欺のようなことも起きている訳で
蒙古の脅威は去っても、平和とは違う世界になっているという皮肉な結果になりつつあった。
叔父上が散々「誉、誉」言っていた意味がここで出てくるわけなんですね。
非人道的な行いは、民を不穏にさせテロリズムを生んでしまう
つまり叔父上を生かし、冥人の面をつけた仁は
完全にテロリストになってしまった訳で。
いくら対馬の民のためとはいえ、今度は罪人として
確実に仁を討ち取らなければならなくなった。
「誰かに殺されるくらいなら、せめて自分の手で…」
という叔父上の想いが潰えた瞬間である。
つまり、あのエンディングの後に待っているのは
対馬が内戦状態に陥っていく瞬間だったのだと捉える事が出来る。
逆に、叔父上を討ち取った場合。
叔父上、最後の台詞「浄土で待っておるぞ。」に深い意味があった訳で
これは、仁が対馬から蒙古を追い出した後は自害する示唆である。
非人道的行為は、あくまで蒙古を追い出すためだけに使うべきもの。
対馬に真の平和をもたらすのは、仁の死によって完結するというものであった。
志村家でも堺家でもない、新しい武家が治めることによって
人々が争いに巻き込まれない対馬を得る事が出来るだろうという希望を持って。
いやー色々考えると、ホント良く出来たお話ですね
ゴーストブツシマ、叔父上は対馬の未来、仁の未来を憂いていた。
志村城での攻防では、仁を後継者として認められた嬉しさで
攻め時を誤り、多くの犠牲者が出た事を後悔していた。
そして、その咎を「息子」に背負わせてしまったことを…
英雄譚としては、どちらに転んでも寂しい終わりしか見えないですが
それがリアリティを醸し出していると言えますねえ。

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