軽井沢ステイ  

先日こんな本が出版されました。
もう本屋さんに並んでいます。
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軽井沢が好き、
軽井沢へ行きたい、
軽井沢で過したい、
軽井沢に別荘を持ちたい、
軽井沢の住人になりたい、
…という人にはおもしろく読める本です。

でも、この本の15ページだけはゼッタイに見ないでください。
あ〜おそろしや、おそろしや!
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台風4号とともに  

帰還いたしました。
長らくの中断、申し訳ありません。

広島・長崎に原子爆弾を投下したB29が飛び立った島として知られるテニアン島へ行っておりました。
出発前から十分すぎるほど重苦しい気持ちになってはいたけれど、パソコンもなく携帯も通じないという状況の中、日常からの脱出は図れました。

戦争は悲しみしか残しません。

島内に残る廃墟(日本統治時代の郵便局や遊郭)や
砲弾を浴びたスペイン領時代の教会、
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放置された戦車やプロペラの残骸、
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原爆を運んだというまっすぐ続くブロードウェイ(主要幹線道路)、
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慰霊碑や日本人墓、
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それに地雷地域など、いまだ生々しくて見るに耐えないものばかり。

エノラゲイが飛び立った島北部のハゴイ空軍基地などにはとても近づく気持ちになれません。

この島で島内観光といえば、戦争の傷跡をめぐることになるのです。

ただ、この度の旅で、これからは悲惨なことに目を背けず「戦争反対」というしっかりとした意識を持ちたいと考えました。
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不幸にも歴史的に悲惨な島とされてしまったテニアンは、核には非常に敏感で、核に対して絶対反対の立場をとっています。

そんなテニアンに、1998年香港系資本の五つ星クラス超大型高級リゾートホテル「テニアン・ダイナスティ・ホテル&カジノ」がオープンして、連日中国からの観光客で賑わうようになりました。
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欧米系の客はほとんど見当たらず、中国、日本、韓国からの旅行客が多いみたいです。
食事、ショッピング、プールとホテル内ですべて用が足せるため、宿泊客は近くのビーチに出ることがあるくらいで、ほとんどホテルで過ごしています。
不思議なアジアンリゾートといった雰囲気。

食事は中国系を中心に、日本食(もどき)、チャモロ料理など。
種類が豊富なビュッフェスタイルなので不足はありません。
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海はすばらしいターコイズブルー。
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台風接近で怒涛が押し寄せてきたりしたけれど、大自然を目の当たりにすると気持ちが晴れます。

でも、海が美しければ美しいだけ悲しみがいや増す…というのも実感でした。
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日本人に英語で話しかけられたり、フィリピン人に同国人と間違えられたりしたことは、笑い話のようですが、いささかショックな出来事でもありました。
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大人の休日倶楽部  

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(写真の人物は似てるけどreinではありません)

この時期、こんなことを話題にすると、
「ああ、JR20周年キャンペーンで山形に行ってきたのねー」
と思われても仕方ないですよね。
会員なら24日まで1日6000円ポッキリでJR東日本の新幹線、特急自由席乗り放題なんですから。
ところがreinが会員になれたのは、というかカードが送られてきたのは旅から戻った5月18日。
要は間に合わなかったということです!!
なんとおマヌケなこと!
結局5%の通常割引も使えずに終ってしまいました。

でもよく解釈すれば、どこまでも行けるとなればもっと遠くへ…といった欲が出てくるわけで、それなら函館までなんてことになって、山形へは行かなかったのかもしれません。
このキャンペーンを使っていたら大石田でのサプライズもなかったのだと思うし、すでにあきらめはついています。
ま、会員になれたことだし、これからどんどん旅にでればいいのだ!(負け惜しみ?)
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山形は雨だった  

大石田から山形に戻ってホテルに泊まった。
友達に連絡をする。
と、「マイフェア・レディ公演で大地真央が来山している」という。
500回公演が山形に当たったそうでチケット入手は困難を極めたらしい。
どうりで希望のホテルが取れなかったわけだ。
山形グランドかメトロポリタンをと思っていたのに山形国際ホテルになった。
「メトロポリタンで大地真央のパーティーに出てるから訪ねてこない?」と言われたが、疲れていたので失礼した。
歩いて5分とかからない距離ではあるが、10時を過ぎてから始まるパーティだったから。芸能界の深夜パーティに旅装束で出られるはずもなく…。

友人とは地元テレビ局の常務で大学時代のスキー仲間。
「明日は11時に山形駅に大地真央を見送りに行く。午後なら空いてるよ」
「でもね、1時の仙山線で仙台に向かわなくてはならないの。残念だけど」
というわけで再会は叶わず。

翌日は朝から雨が降っていた。

山形への目的は
@山形東高校を訪ねること
A山形大学で学食を食べること
B昨年埼玉(新座)から山形総局に配属になったS記者の表敬訪問
など。

朝食を済ませるとすぐ荷物を預けてホテルを出た。
2月の新潟でもそうだったように、県都は歩いてまわるに限る。
県都には県都の風格があり、文化が息づいている。
ガイドブックには載っていない老舗や古い建物、旧家などに出くわすことも多い。
観光とはいえreinの場合どうしても取材風になってしまう。

午前中雨の中をフルにまわったところを少々ご覧ください。

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「旧済生館本館(重文)
霞城公園にあり、山形市郷土館になっている。
東北地方におけるドイツ医学のメッカ。

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山形城主最上義光像

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山形市立第一小学校(重文)
20代の頃、この小学校を訪ねたことがある。
今回宿泊したかった山形グランドホテルはすぐそば。

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「文翔館(ぶんしょうかん)」(重文)
旧県庁舎と議事堂の2棟から成るイギリス・ルネサンス様式を基調としたレンガ造りの建物で、山形県郷土館となっている。大正5年の建物を平成7年に修復したもの。

ここでも不思議な出会いが。
山形の文学にまつわる展示を見ていたとき、声をかけられた。
「何かお調べですか」と。
それから話が山形東高校へと移り、その方も卒業生であることが判明。
すると、ひょんなことから新座在住で山形市内にアトリエを持つ彫刻家M氏が共通の知り合いであることがわかり、名刺交換。
大変なご縁を感じた。
その方に出会ったがために、「文翔館」のみどころを駆け足ながらくまなくガイドしていただけた。
幸運としか言いようがない。

文翔館近くに朝日新聞山形総局がある。
S記者不在なことは予め連絡を取っていたのでわかっていたが、せっかくだから立ち寄ってみた。
モダンなつくりのビルで、2階に仕事場があった。
応対してくれたお姉さんの感じのよかったこと!
おみやげを置いてすぐ退散し、東北有数の進学校山形東高校へと向かった。

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山形城主義光が次女駒姫の菩提を弔うために建てたという専称寺
雨がザーザー。
傘の中からの撮影のため、傘の赤い色が反映している。
写真では見えにくいが、本堂四隅軒下に左甚五郎の力士像がある。
駒姫の墓にもお参りした。
向かいの寺には山形師範時代の藤沢周平さんが下宿していたそうだ。

そこから山形大学へ。
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キャンパスで新潟と岩手出身だという学生に学食の場所を尋ねる。
でも時間がなくて学食は断念!
生協でオリジナルグッズだけ求めた。
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生協レジのおばさんとレジに並んでいた教授らしい人に駅までのアクセスを聞く。
不便とわかって、タクシーを拾った。
運転手は山形美人であった。
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大石田へ  

みなさーん、ご無沙汰しました!

出発前にPCトラブル発生。
ネットがつながらなくなっちゃった。
で、ちょいといなくなりますって予告できないまま旅に出てしまい、失礼しました。

どこをふらついていたかというと、最上川を見てきたのです。
最上川といえば?
ピンポ〜ン、そう、山形ですね〜、芭蕉ですね〜。
五月雨を…の季節でもあるし、ちょっとマニアックに「大石田」という町を訪ねてみました。

「大石田は陸路と水路の接点という地の利から、かつては「最上川最大の舟着場」として栄えたところ。最上川沿いには舟運文化を偲ばせる白い塀を描いた特殊堤防が作られているほか、旧家には蔵や江戸時代から伝わるお雛様などが残り、往時の名残をとどめています。また、水と緑の豊かな景観に恵まれ、松尾芭蕉や齋藤茂吉、小松均など数多くの文人や画家が足を運んでいます。」(大石田町ホームページより)

逍遥の一人旅でした。
そこで待ち受けていたものは・・・。
それはいつか小説を書くようなことでもあれば読んでください。
「小説」はオーバーにしても、「事実は小説よりも奇なり」っていうサプライズが続出。
だからこの旅を記録すればきっと1冊の本にはなってしまうでしょう。

最上川は実に雄大な川。
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ゆったりと、悠々と、静かに、力強く、歴史を物語り、そしてやさしく包み込んでくれるような温かさをも呈している川…。

川沿いに、芭蕉の「五月雨を…」の句碑がありました。
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茂吉が逗留した家はこの句碑の近く、やはり最上川沿いの家。
今は息子さんの代になっていますが、そのお父さんの時代に茂吉を大変応援していたということです。

茂吉が大石田で詠んだ歌
「最上川 逆白波のたつまでに ふぶくゆうべとなりにけるかも(歌集『白き山』より)
意味は「最上川に白い逆波が立つくらい強い吹雪になってきたなあ」。
逆白波とは下流から強く吹き上げる風により波があおられて白波がたっている様のこと。
厳寒が感じられ、情景が目に浮かびますね。
地元の人が言ってました。
「大石田には冬に来ねば」と。

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最後に。
これは最上川のほとりに残してきたreinの足跡です。
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