筆者は「高校野球」が嫌いである。好きな人には大きな反論・御批判もあろうと思うが、「嫌い」なのである。少しソフトに言うならば、だんだん嫌いになってきて、今日、「本当に嫌いになった」のである。
まずは、マスコミでは「高校生らしい・若者らしい」という言葉に代表される美辞麗句であるがこれが実にいかがわしい。
実は、筆者の出身高校は甲子園の出場経験もあり、一部では「名門」といわれる高校である。しかしながら、「名門」=「有名校」=「人気校」=「収入源」というような図式からか、実にえこひいきされている。もっとも「当校は野球部及びその部員は特別扱いする」と明確に示された学校はそれでいいと思う。問題は「当校の生徒は、皆、平等である」などと口先で言いながら、実際は前記のような態度を取る学校である。「大人の世界」といえばそれまでだが、同級生である野球部員に対しても「当然」とばかりの態度に嫌悪感を抱くようになってしまった。
又、20数年前には幼馴染が甲子園出場を果たしたのだが、大会終了後、自宅へ遊びに行くとタバコすぱすぱ、酒はガブガブの状態であった。個人的な付き合いの仲だったので酒・タバコについては「こんなもんかな?」くらいでなんとも思わなかったが、マスコミの「高校生らしいひたむきな姿」を求める報道姿勢には違和感を覚えた。
その後も、大なり小なりトラブルがあったが一番笑ったのはホームランを打った選手が喜びの「ガッツポーズ」をしたところ「高校生らしくない」という理由で「アウト」になったこと。又、最近はプロにもなった選手の喫煙問題等々。
あまりにも、高野連の「言行不一致」及びマスコミの「虚構・偶像のでっち上げ」に辟易してきてしまった。
そして今日。開会式での「選手宣誓」。あまりにも不自然・作為的・美辞麗句・マスコミウケを狙ったものとしか思えない内容でありながら、某放送局のノー天気アナウンサーは「すばらしい、感動しました」的なコメントを読み上げていたがアタシはこの宣誓、そしてこの報道姿勢こそが高校野球の将来の暗さを暗示しているとしか思えない。
一時期、よくマスコミの話題に上った某国技的スポーツの昇進儀式の時のパフォーマンスとそっくりだ。自分の言葉ではなく、周り人々が作り上げた「台詞」であり、一部の人間にとってはプロパガンダとも言えるものである。
どこのインテリ、高学歴、上流社会の出身か知らないが、周りの人々の演出や難しい慣用句・ことわざを使うこと、或いは、文学的に高潔な文章よりも、実際に「汗」を流す人間の「生」の言葉の方が、人々の心を動かすことが出来るのである。
ニッポン放送とライブドアの問題ではないが「高校野球」が誰のものなのか?。すっかり浮世離れしてしまっているのではないか?だからこそ子供たちが魅力を感じることが出来ず野球離れが加速していくのではないか?と次々と疑問が湧いてくる。
子供の頃、甲子園を目指し、長島選手や王選手に憧れたかつての野球少年が関係者に熟考をお願いしたいものである。

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