数日前、中学時代の同級生でもあり、仕事上の取引もある友人から電話があった。
「娘が亡くなった」と・・・・。娘さんは小学校6年生、まだ11歳だった。
昨夜はお通夜、そして本日、告別式が行われた。
お通夜には娘さんと仲の良かった同級生や、父親の取引先の方々等、かなり多数の方が参列していた。
式は宗教色の薄い「お別れの会」といった雰囲気。
会場の片隅には家族との旅行や生活の一遍を映した画像、小学校での生活、遠足や運動会の模様を撮影した写真などが飾られ、元気だった頃の娘さんの姿を垣間見ることが出来た。
実は筆者、たまたま、娘さんが生まれて退院してきた翌日に彼の家へ伺い、嬉しそうに「ウチの娘だよ。見てくれよ」と言って、父親に抱かれた彼女を見たのが最初の出会だった。
筆者が家族以外での初対面だったと思う。
そんなことを思い出し、こみあげてくる感情が大きくなってしまった。
実は、この友人夫婦、最初のお子さんは流産(死産?)で亡くされており、その後、なかなか子宝に恵まれなかったのだが、結婚7〜8年目にやっと天から授かったお子さんだった。
そして、この友人は、お子さんが生まれたのと時期を同じくして独立・起業したのだった。
そんなことを思い出し、ご夫婦のお顔を拝見すると、同級生であり友人であるとは言え、同じ年頃の子供を持つ身、かける言葉も無かった。
一般的に、お清めの場では業者関係の方が参列し集まるとお弔いとともに「営業上の立ち話」も多くなることが多いのだが、さすがにこの日はほとんどの人が無言。
地元ではかなりの「名士」といわれる方々が集まっていたが、やはり皆さん、言葉にならないようだった。
そして告別式。
土曜日と言うこともあり小学校の同級生たちがほぼ全員参列してくれた。
お友達の代表、3人の「お別れの言葉」。
そのうち2人目の女の子「私が転校してきて淋しかった時、最初に声をかけてくれたのが○○ちゃんだったね」と言って、こらえていた涙とともに絶句・・・・。
実は友人であり、父親である今回の喪主も中学3年の時に地方から、転校してきたのだった。
あまり自分からしゃべるタイプではなかった彼が、クラスは違えど筆者と同じ「サッカー部」に入部し、一番先に彼と話したのが筆者だった・・・と、後に「お前が話しかけてくれて楽になったよ」と言ってくれたことがあった。
実は筆者は、覚えていなかったのだが、彼にとってはクラブや学校に溶け込むキッカケになったと言われたのだった。
お友達の「お別れの言葉」と同時に、そんなことを思い出し、またまた不覚にも・・・・。
式が終わり「最後のお別れ」の時、お棺の中の娘さんの顔を見せていただいた。
お節句の時以来ではないだろうか?。綺麗に化粧をした顔は少し微笑んでいるようでもあった。生きて病魔と闘っている時は苦しかったに違いないのに・・・・。
彼女、斎場近くの、通っていた学校の前を通りすぎ、天国へと向かった。
「黄泉の国」で天使になって、二人になってしまったパパとママを見守って欲しいと思う。
合掌。

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