実は、昨日、寄席がハネたあと浅草の伝法院通りをブラブラしていると、今、江戸・町鳶をしている学生時代の同級生にバッタリ!

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向こうは町鳶仲間の寄合の途中だったのだが、仲間たちを先に行かせて立ち話。しばし、昔話に花が咲いた。
同級生の中でも特に仲の良かったヤツで、学生時代からお互いの家を行き来したり、筆者の結婚式には彼が歌を、彼の結婚式には筆者が友人代表の挨拶した仲。卒業後も、同業なので仕事のやりとりやら情報交換、何かにつけて呑み会をしたり、毎年暮には、銀座の一角で町鳶ならではの「正月のお飾り」の店を開いているので、毎年、買いに行ったものだ。
しかし、数年前、筆者が経済的にしくじって会社も家も失ってから、アチラにとっては「音信不通」と受け取られていたようで
「筆者が無事に生きている」だけで喜んでくれた。
アチラは寄り合いがあるので「今度、呑もう!

」と言うことで別れてきた。
その後、ひとりでパイイチ呑ろうと歩いていると、今度は電話。相手は中学時代の同級生でもあり、今は仕事仲間でもある鉄骨工事会社の社長。仕事の話しも若干はあったのだが「実は○○が死んだよ・・・・」とのこと。
○○はやはり中学時代の同級生。鉄骨会社の社長ともども、中学時代はバレーボール部。中学とは言え、全国大会で2位になった強豪のエース格だった。また、若い頃はやんちゃをしていたのだが、何故かサッカー部で背も低くやんちゃとは縁が無い筆者とも仲が良く、また、30過ぎてから同じような仕事をしている・・・・ということで交流もあった。
しかし、3年ほど前、クモ膜下出血で倒れ意識不明になり、一度も意識が戻らないまま亡くなったのだった。
そんなわけで、昨夜はその中学時代の同級生のお通夜だった。
ちなみに、中学時代のバレーボール部のメンバーの中で1人だけがオリンピックまで行ったのだが、「バレーボール部OB会」とは別に「個人名」で生花が飾られていた。お焼香に来たかどうかは知らないが・・・・。
その他、一般卒業生の我々、しょっちゅう顔を合わせるヤツもいれば卒業以来、三十数年ぶりに会うヤツもいた。不祝儀で顔を合わせることが多くなる年になったことを痛感

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