実は昨年の暮れ12月20日頃になって、85歳のオフクロが歩行困難になってしまった

。
今までも杖が無くては歩けなかったのだが、杖があっても、もう一方の手で壁を伝わったり、モノに寄りかからないと歩けなくなったのである。
さらに、腰が異様に痛いと言う。
普段から膝が痛いのなんのと言って罹っている整形外科まで我々の足ならば10分足らずなのだが、歩行困難なので病院まで行けないのだ。
たまたま、年末は現場が近く、時間的にも融通が利いた筆者が、整形外科まで送り迎え。
しかし、車を降りても歩けないので、整形外科の受付・診察室まで50過ぎのいい年をしたオヤジが85になるオフクロの手を引いて歩く。
ビンボーくさい年をとった母子が手をつないで歩く姿は哀れでもある

。
毎日のように整形外科、そして内科だの眼科だのと連れて歩いていた。
ところが、暮れも押し迫った29日になって「痛さがおかしい」と電話があり、すでに年末年始の休みになったかかりつけの病院には生けず救急車

を呼ぶことに・・・・・

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午後2時前に救急車を呼び、病院に搬送され診察が終ったのは午後6時。
本来は仕事納めだったのが納まらず・・・・

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そして、大晦日まで毎日、オフクロの家に通い詰めて年越し。
年越しは自宅で迎えたものの、元日の9時ごろには、いつものようにオフクロ宅へ。
いつものような「正月風景」にはならないが、筆者が大晦日に築地で買い込んできた刺身を切り分け、数の子を出して、いちおう「正月らしい段取り」をする。
しかし、オフクロは薬を飲む都合があり朝メシを喰ってしまったとのことで、筆者の「酒の肴」になる分だけお膳の上に運ぶ。
淋しい「正月の食卓」だが、コレを肴に朝から

パイイチ。
今年は50年慣れ親しんだ
「オフクロの作る雑煮」も喰うことはなかった・・・・・
そして、この元日の夜から、オフクロのところに泊り込む


。
夜はボケてグループホームに入所してしまったオヤジのベッドで睡眠を取るが、なんとその夜
「オヤジの夢」を見る。
・・・・・・気がつくと、オヤジが筆者の隣に寝ている。「なんだオヤジ、どうした?」と聞くと「グループホームの正月休みだ。たまには親子で寝てもいいだろ?」とのたまう。
しかし、ボケた悲しさ、家中にオシッコをお漏らししていて、夜中に漏らしたオシッコを拭いてまわる・・・・・・という夢だった。
「風の知らせ」かとも思ったが、今年の春に満90歳になるボケたオヤジ、身体だけは元気なようだ。
泊り込み中は、筆者が台所に立ったりする。
元日は「冷蔵庫にあるもの」でテキトーに済ます。
2日の夜は筆者の得意技のひとつ
「鳥豆腐」。
オフクロは、鳥豆腐を「ウマいっ!」と言って喰ってくれた。
「そういえば、オマイ、子供の頃から料理が好きだったな・・・・・」と思い出話しをしながら・・・・。
そして、翌日の朝は、その残り汁を使って
「おじや」。
コレも「美味い!」と言って喰ってくれた
こんな感じで4泊5日。
日中はあっちこちに出かけて時間にすれば半分くらいだったが、久しぶりにオフクロとの時間を過ごした正月だった。

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