丹野(たんの)さん帰る。稽古開始から二ヵ月以上、本番初日を見届けた演出の丹野さんは能登から東京へ帰って行った。丹野さんは前にも書いたように他劇団の演出家である。このあとはご自分の劇団の公演の演出をしなければならないという。思えば今年三月末に初めて顔合わせした際、
「お手軽な身長ね。」
と言われたところから始まり、七月の稽古はじめ二日目にして
「自分の演じてる役の事も分からないのに演技なんてできるの?」
とつっこまれ、稽古中も今までの塾のやり方とは少し違い随分戸惑ったもんだ。しかし、この『戸惑い』が必要なのだ。違う感覚を持った人の演出を受ける事、その感覚も受け入れつつ、演技センスを研く事が大切なのだろう、と考えを改め、丹野演出を信じてきた。
丹野さんが能登を後にする三日程前、楽屋でお弁当を食べてると丹野さんが、僕らの楽屋に入ってきた。
「太郎の横でお弁当食べてもいい?なかなか居場所がなくって…。」
と丹野さん。「どうぞ!どうぞ!」と僕。丹野さんに限らず、アクション振り付け担当の先生も、僕らの楽屋が居心地がよいのか、よく来る。裏方スタッフはスタッフで集まってるし、役者は役者で集まる。製作は製作で集まるので、確かに居場所がないらしい。
人見知りな僕はあまり丹野さんとしゃべった事はなかったが、このお弁当を機会に少し喋ってみる。
「でも、丹野さん、今も居場所がないって言ってましたけど、随分大変だったでしょ?塾芝居の演出なんて。単身で他劇団に乗り込んで指揮をとるなんて、正直、毎日すごいプレッシャーだったと思いますよ。」
「あー!太郎はわかってくれるのね!」
と丹野さん。この人はいつもニコニコしているが、やっぱり精神的負担は大きかったに違いない。お弁当を食べおわると、製作スタッフが持ってきたスタッフジャンパーを着てはしゃいでいる。
「ねぇ?太郎!どう?このジャンパー?」
僕が答えに窮していると
「そんな事だから彼女できないのよ!」
と大きなお世話です。でもその後には
「でもほんと鎌倉太郎には幸せになってもらいたいわ。」
としっかりフォローのアフターケア付き。
最後の夜、何人かで丹野さんを交えて居酒屋に。僕も飲めないビールをジョッキの三分の二くらいまで飲む。何かの拍子に話題が僕になった時、
「鎌倉太郎は、彼は真面目よ!すごく真面目!」
と丹野さん。最近僕はこの『真面目』というのを、あまり良い意味に受け取らないが、最後の夜に丹野さんがせっかく言ってくれてるのだ。今夜はその意地悪をしない事にしよう。お疲れ樣ね!丹野さん。

0