能登半島七尾市。おそらく能登で一番大きな街であろう。和倉温泉も七尾市内にあり、七尾駅から能登鉄道に乗り換えて一つ目の駅が和倉温泉である。この七尾駅、僕にはちょいと思い入れのある駅なのである。その思い入れとは…。
昨年2006年9月。やはり僕はここ、能登にいた。無名塾公演『長州異聞』能登公演。いつものように公演自体は無事終わろうとしていたが、僕だけは違ってた。その年の春頃から田舎の父、健吉さんからある事を知らされていたのだ。
「太郎、おじいちゃんな…もう長くないらしいぞ。末期がんやと。もう86やし。しゃあないわ…。」
僕は小さい頃からじいちゃん子だった。じいちゃんは初孫の僕をとても可愛がり、僕も大好きだった。保育園の頃、保母さんが
「太郎君は面白い子ですね。普通の子は『お父さん!お母さん!』って泣くのに、太郎君だけ『おじいちゃん!おじいちゃん!』って泣くんです。」
と言ってたらしい。それくらい大好きだったものだ。小学生の頃も頭の悪い僕は塾の学力についていけず、もう行きたくない、と泣いてると、じいちゃんはそばに来て言うのだ。
「太郎、泣きなや(泣くなよ)。太郎が泣きよったらおじいちゃんまで悲しくなって泣きたくなるやろう。」
その優しさに余計に涙が止まらなくなった事を今でも覚えてる。僕の母が若くして死んだ後、その翌年には母の兄もこの世を去った。この世でたった二人の息子と娘を立て続けに失ったじいちゃん、ばあちゃんは深い悲しみの中、残る人生の全てを娘の血をひく僕ら幼い孫を育て上げる事に捧げたのだ。
『長州異聞』の公演の真っ只中、毎日のように弟からメールが送られてくる。そのメールから日に日にじいちゃんがもういよいよだという事が汲み取れる。能登公演最終日、いよいよ危篤とのメール。事情を塾のメンバーに話すと、後片付けはおれらでやるから、公演終わりしだいすぐに帰ってやれ!との事。能登の劇場の職員さんも公演終わりで七尾駅から高知駅まで帰る最短ルートを調べてくれている。終演後、僕は仲間に追い払われるように劇場を後にし、七尾駅目指して車で送ってもらった。しかし、どこか抜けてる僕はこの七尾駅に迎う車内である事に気付かない。そしてここにピンチを迎える事になる。

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