恥部の痛みに耐え兼ねた僕はすぐに管をとってもらう。そしていよいよ本格的な入院生活が始まった。
『痛み』と『かゆみ』と『退屈』がひっきりなしに訪れてはしばらく長居をして去っていく。そんな毎日。その日から家族は僕中心の生活。家族や身内がアルバイトのシフトのように可能な限り交代交代で僕を看病してくれる。健吉さん、早知子さん、陽介、じいちゃん、ばあちゃん、早知子さんの兄である、おじさん。みんな。
病室の天井も見飽きた。家族が話し相手になってはくれるものの動かずにはいられぬ年頃に寝たきりはキツイ!僕の興味はもっぱら窓の向こう。
幼い腹筋を使って病室の窓に向こうを求める。ほんの数秒だけ、夏が始まったばかりの高知の街が見える。南国をアピールする県には必ず見られるエセ椰子の木が規則正しく並んでたのが印象的。
数秒で腹筋は尽きる。しばしベッドの上で腹筋を回復させ、また起き上がる。ここは一体、高知のどこなのか?
お昼はいつも決まって、土井まさる司会の『スーパーダイスQ』を見ながら食事。サンヨー電機がスポンサーのこの番組のCMは全部サンヨーだ。県内にあるサンヨーグループの電気屋さんの主人とその家族で構成された素人メインのCMが続く。
「高知市の池田電機です。電気の事ならうちに任せてや!」
【♪サンヨー電機〜】
「室戸市の永井電機です。家族みんなで心のこもったサービスでお客様をお待ちしてまーす。」
【♪サンヨー電機〜】
「吾川(あがわ)郡、吾北(ごほく)村の谷町電機です。どうぞ気軽に来てみてや。」
【♪サンヨー電機〜】
とまあ、こんな具合。病院食も食べたが、当時発売間もない『ボンカレー』がおいしかった事を覚えてる。王さんがCMをつとめていた。猫舌の僕はあえて温めないルーを望んだ。今でも温めないレトルトカレーをあえて頂く事がある。嫌いではない。
看護婦さんや先生が回復状況を見に病室が訪れる。いつだったか夕食時、先生は現れた。
「太郎くーん、ちょっと痛いかもしれないよ。」
そう言い終わるや否や、まだ入院間もない僕の足をぐっと曲げる!
「!!!!!!!!!!」
声にならぬ激痛。激痛。激痛。開いた口の中で肉じゃがのじゃがいもがぽろぽろ崩れていく…。
ケガは少しずつ回復に向かっているようだが、やはり激痛やかゆみは止まらぬ。家族は時にのたうちまわる僕になすすべがない。
いつしか僕はある人を切実に求めるようになる。僕の痛みを取り除く最大限の努力をしてくれる人。先生でも看護婦さんでもない。
もうすぐ夜の11時。そろそろその人が来る頃だ…。

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