ふと祖母を想った。なんの拍子にか分からないが祖母の事を。
僕の親戚には妹分の6つ年下の女の子がいる。正確には僕の母の兄、つまりおじの娘である。もはや妹も同然の存在である。
今から30年以上前、その娘がまだ赤ん坊の頃、だから僕はおそらく小学生1年生くらいの頃か。
ばあちゃんがその娘のオムツを洗っていた。高知ではオムツというより『おしめ』と言う。おそらくオシッコやウンチによる『お湿り(おしめり)』からきているのだろう。その当時はあまり紙オムツなんてなかったらしく、ばあちゃんは布で出来たウンチのついたオムツを青いバケツに沈めて洗っている。赤ちゃんのウンチはご存じの通り柔らかい。バケツに張られた水は一瞬でバラバラになったウンチでいっぱいである。そのウンチだらけの水に両手をつっこんでばあちゃんはゴシゴシ。
「うわぁ…おばあちゃん!汚ーい!よくそんなん洗えるねぇ。」
と幼い僕。でもばあちゃんは何の嫌そうな顔もせず、笑っている。
「(ばあちゃん)何が汚いもんか!あんたら可愛い孫のウンチやないか。おばあちゃん、なんにも汚いなんて思わんよ。」
その光景は今でも何故か覚えている。そんなものなのかな、と。大人になると、子供や孫を持つとウンチまでいとおしく感じるようになるものなのかな、と。
あれから30年以上。何年か前にそのばあちゃんもこの世を去った。そして現在は紙オムツの時代。汚物のついたオムツは一切手を汚さずにくるくる丸めてポイ!実に清潔で簡単である。でもあの、ウンチだらけのオムツを洗っては使い、また洗っては使っていた、そんな祖母を思い出す時、ウンチだらけのあの手に何故だか涙が出そうな程の深い愛情を感じるのである。

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