飛鳥中学の道場をお借りできるようになって、日曜日に稽古がないという事がなくなった。道場そのものにもだいぶ慣れてきて、私自身はじめのうちはよそのお宅にお邪魔しているような、なんとなく使い心地の悪さを感じていたが、今はもう違和感はない。
そういう気分がみんなに出てきたのか、最近は飛鳥中での稽古のときの方が、出席者が多い。
特に少年部は。
道場は、広ければいいというものではないらしい。
誰が考えても稽古をする人数に見合った広さがいいのは間違いなさそうだが、それがどのくらいなのかという事は、道場の雰囲気が決めていくものかもしれない。
その道場の雰囲気はどうやって出来てくるのか。
それはつまるところ、どういう稽古をしていくのかという事だろう。
少年部でのいい稽古というのは何だろう。
ずっと考えてはいるが、納得できる答えが見つからないまま何年も経っている。
いつもだいたい同じ経過で内容が進んでいくような稽古をしているが、子ども達の反応が日によって違いう。
私の言った事に、ビ−ンといった感じで反応のある時と、私の言葉が全く子ども達に届いていない、と感じる時の違いは何なのだろう。
やはり道場は広ければいい、と言うものではないらしい。
その先には、狭い広いを感じない稽古というのがあるのだろう。

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