県内ニュースをしばらく見ていなかったが、被災地がれき受け入れ問題に関して島田市の桜井市長が、
「(がれきを受け入れないで)絆だとかがんばれ東北だとかひとりじゃないよという言葉は、いったいどこに行っちゃうのってことになるんです。行動で示さなきゃ私はだめだと思います」
などとテレビで述べたそうである。
被災地がれきの受け入れについては純粋に科学的検証にかかる問題であるべきで、このような情緒論で是非の誘導を行うことは問題の解決にはならない不誠実な対応である。
まして、このようながれき受け入れを欠く様々な形の支援を見下すような発言は自己の負担のもとにできる範囲の支援をしているボランティアをも冒涜するに等しい。
彼は、彼自身が何の犠牲も出すわけでない行政の長としてではなく一個人としてどのような支援をしたのだろう。それはがれき受け入れがないとどこかに行っちゃうようなものなのだろうか。
だったらあまりにかわいそうな人だ。
無理なくできる範囲でできることから始める支援は確かに一つ一つは小さいがそれらがつながった時の大きさや尊さを知らないのだから。
さて、その島田市とは正反対にがれき受け入れの動きにストップがかかったのが神奈川県だ。
神奈川県の黒岩知事は「地元にじっくり話す機会を逸して申し訳ない」との陳謝とともに「前に出した提案は撤回せざるを得ない」とがれき受け入れの提案をいったん撤回することを表明したそうである。
大人の対応である。
一方の地元は今後の県との話し合いについて「百パーセント拒否ということはない。知事の気持ちを聞くことはやぶさかではない」と述べ、県側の新たな提示内容次第で協議に応じる姿勢を示したとのことでこちらも大人の対応だ。
多少時間がかかっても住民が納得するような検査体制や受け入れの条件などを詰めたほうがいい。
そもそも自治体の首長の務めは住民の生命・財産を守ることにあるのだから、個人の思いでそれをないがしろにしてはならない。住民に不安があればその解消が先決である。
本県にもどって、島田市は先に受け入れありきの姿勢。
準備万端で行われた試験焼却の結果を経て受け入れを本格化する算段であろうと推測される。
しかし試験焼却で環境中に放射性物質が拡散していないという結果が出たとしても、科学的にいえるのは検査した範囲で安全ながれきが存在するということでしかない。(試験焼却時以外のがれきについては何も証明されない)
真に安全なものなら受け入れを拒む人はいない。
問題は行政のずさんさ、独りよがりの検査の上でたぶん安全だろうというどんぶり勘定で無分別に受け入れてしまうこと、先に受け入れありきの姿勢からそのことへ進んでいくという不信感が大きい。
国の主張するがれき受け入れ問題が復興の遅れの元凶であるかのような責任回避的なこじつけもいかがわしい。
そもそもが本当に現地での処分は不可能なのかも疑問だ。
県も始めから自県が被災した際の他県の援助を期待してのいわば取引き的な受け入れでいいのか。教訓として自県完結の処理計画を立てるのが自立した行政の姿勢であろう。
禍根を残すような決着ではだれも救われない。
冷静に考えれば時間は無いようで話し合うには実は十分ある。
多くの争点が、それこそ専門家ですら白黒はっきりしない問題だからこそ、よくよく対話し、より多くの人が納得るような決着を目指すべきである。