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陸軍少年戦車兵学校跡6

2019/6/7 | 投稿者: captainhayato

Continuation>>
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 組合の正面門から西へ進んだ交差点の角に長方形のコンクリートの固まりがあります。
 相当古い物の様なので、将校集会所の何かの基礎だったのでしょうか


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 交差点を横断して、施設図に記載されていた”島忠橋”(?)の辺りに来ました。


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 反対側です。


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 橋の上からは木々が邪魔して観られないので、川に下りようとしたが、垂直のコンクリで下りられず、遠くから藪漕ぎして来て、何とか縁から観られました。💧(笑)

 ”礼儀橋”の方から下って来た川が、正面の道路の壁にぶつかり、地下側溝(右方)へ入り、西側の潤井川へ抜けている様です。

 川は、美しく、手積みの石垣が残り、当時の面影を残しています。

 構内図を観ると、当時は、川が普通に道路の下を通り、反対側へ流れていた様で、川の痕跡が水無し川として続いている。

 現在は、橋の下は画像の様にコンクリートで塞がれている。


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 木々が伸びていて分かり辛いですが、橋の上から川の上流方向を観たところです。


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 反対側の当時川だった跡から橋を観てみると、やはり土手で塞がれていた。

 水が氾濫するので側の大きな潤井川へ放出する様にしたのだろうか。

 結果は、改築されており、昔の面影は河原だけで、橋は、かろうじて、左右のガードレールが名残りを感じさせているだけです。
 あ、また拘っちゃいました、古い土木構造も好きなので。(笑)


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 建物の基礎の様なコンクリートが放置されている。


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 組合の西側門に来ました、当時の門が残っています。

 正面の建物が学校時代の物と似ているので、改築して使用しているのかもしれません。

 液肥看板の後ろに門柱が隠れています。


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 礎石が頑固ですね、重圧です。


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 左側の門柱です。

 正面門のノーマルなデザインの物より、こちらの石を削ってあるデザインの方が立派ですね、礎石のデザインも総じてかっこいいんですよね、大きくて丈夫そうです。
 門の広さもあり、恐らくこちらがメインゲートで、ノーマルデザインの方は、サイドゲートなのかもしれません。


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 直ぐ上に橋がある(上記の島忠橋の上流)ので、観察してみます。


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 これは中々古そうですねえ。
 欄干を観ると相当歴史がありそうです、当時の物でしょう。


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 反対側です。
 中々の美しさです。たまりませんなあ(笑)


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 橋の下を確認してみます。ワクワクします。(笑)

 あー、整備してある様で、当時の面影はありません。

 橋を幾つか見て来て、ちょっと臭い場所とそうでない場所がありました。(笑)


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 更に直ぐ上にもう一つ橋があります、組合の裏口です。

 正面に当時の雰囲気のある建物が見えます、東側の給乳所の方です。


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 新しいですね、これは判断が難しいですが、川は渡らないとならないので、当時もここに橋はあったのではと思います。

 この上流の林内に燃料油脂庫があった下辺りに”賓上橋”?と言う橋が在った様で、探したのですが、どうも道が切れており、民家の敷地になってしまったらしく、橋の痕跡は確認出来ない。

 何しろ敷地が広大なので、かなりウォーキングします、以前調査した陸軍戸山学校跡と溜めハリに楽しいです。(笑)


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 ふと、木々の間から見え隠れする小屋が、
 当時の用具倉庫だろうとのことだった。
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