第1回 古代の刳り船

本船は、宮城県の西都原古墳を代表とする舟形埴輪や各地で出土された刳り舟をベースに描かれたものになる。今から約300万年前に人々は大陸から地続きで日本列島にやって来た。舟はその頃から漁や運搬に使用され、やがて、国家が形成される。

石井謙治先生 直筆の古代の船の構造図(想像図)

それを清書すると、こういう感じになる。
中国の歴史書の「漢書 地理志」や「後漢書 東夷伝」などの頃から絵のような、2、3本の大木を縦に継ぎ合わせる複材刳船(準構造船)が登場し、より多くの物資や人員を運搬出来るようになった。また、福岡県の珍敷塚古墳に帆で走ってる船の絵も確認されているところから、追い風でしか利用出来ないが、帆走も可能と考えられている。歴史上では、朝鮮半島との交易などでも使用され、歴史上のエポックでは、663年の白村江の戦いで兵士を朝鮮半島に送ったのも、このタイプの船が有力と言われ、和船史で最初に登場する和船であり、遣隋・遣唐使船とほぼ同時代にいた船でもあるが、遣唐使船と比べ、平安・鎌倉時代に続く和船の発展の中で、この船を基本に発展していることから、和船の定義としては重要な船で、逆に有名な゛遣唐使船゛は異質の存在になっている。
参考文献
世界文化社 復元日本大観 4 「船」
著者 石井 謙治/石渡 幸二/安達 裕之

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