第17回 弁才船とは・・・。
弁才船、またの名を゛千石船゛とも言います。江戸時代になるとほとんどのタイプの商船は消え、全てが、この弁才船を基本と船になり、菱垣廻船、樽廻船、各種番船、日本海側で活躍した商船、全てが、この弁才船のバリエーションになるわけです。では、なぜ弁才船が近世の花形商船に伸し上がったのか、今日はこの辺をお話したいと思います。

日本海を行く、高田屋嘉兵衛の辰悦丸
辰悦丸も特別な船ではない、この時代のオーソドックスな、弁才船に過ぎない。
1000石ではなかった弁才船
弁才船は、元々は瀬戸内地方の商船から始まったものだった。近世初期、日本のあらゆるところで独自に発展を遂げた商船が多く、瀬戸内では、軍船の安宅船の亀甲造りを外した二形型や伊勢型の商船
(前回の説明@
http://navy.ap.teacup.com/kanzo/17.html)
(前回の説明A
http://navy.ap.teacup.com/kanzo/11.html)
、日本海側では羽賀瀬船や北国船
(前回の説明
http://navy.ap.teacup.com/kanzo/27.html)
などが主力商船として活躍していた。その頃、弁才船と言えば、小型・中型の商船で、大きさも日本海側で活躍する北国船が1000石から1800石(1石=10立方尺(約278リットル))の計算でℓに換算すると278.000ℓ〜500.400ℓの大きさなのだが、この頃の弁才船は300石積み(83.400ℓ)と一桁違う大きさであり、江戸時代の海運が始まった頃は中型どころか、小型の部類に入る船で、とても中心勢力といえる商船ではなかった。

ケンペルの描いた元禄期の弁才船
エンゲルベルト・ケンペルは、ドイツ人の医師・博物学者で元禄期の1690〜1693年に長崎の出島のオランダ商館付き医師として日本に来日、3年間の間に日本のあらゆる事をヨーロッパに発表し、のちに彼の著書の゛日本誌゛は、西洋にジャポニズムを広げる原点になっている。また、資料としての価値も高く、この元禄期の弁才船も、この時期にこれだけ写実的に描かれている資料も少なく、当時の弁才船の研究資料として貴重なものであるが、見てのとおり、後部の舵が大きく、以外に小型船に見えると思う。
帆走能力が弁才船を進化させた。
ただ、弁才船には、今までの和船にないものを持っていた。それは優れた帆走能力で、櫓や櫂をあまり使用せずに運行出来、逆風帆走も可能な船で、この点だけが他の船とは違うのだが、この違いがこの船を飛躍させた。帆走の利点は、船を動かす上で少ない人数ですむことで人件費を抑えることが出来るのが大きかった。例えば、北国船は1000石積みだと19〜20人ぐらいの人数が必要で、18世紀以降の話になるが、弁才船で同クラスで12〜15人と半数とはいかないが5〜7人少ない人員で動かすことは可能で、これ以上大型船になっても人数はそんな変わらないと思われる。そして、櫓や櫂を使わず、逆風帆走が可能な点は、運行のスピードアップにもなった。
そして、もっとも大きな出来事は、造船技術の発展によって、゛木割術゛というもので、実は日本家屋の建築と同様で言わば、゛船の建造する際の基本規格の設計術゛というのが普及して、これを基本に様々な船のタイプや大型化が可能になりました。こうして元禄期(1688〜1703年)の500石(139.000ℓ)ぐらいだった弁才船は、享保・化政期と18世紀前半頃になると1000石(278.000ℓ)、1500石(417.000ℓ)と増大化、こうして弁才船は、゛千石船゛と呼ばれるようになるくらいまで発展、この頃には、各地で活躍していた船はほとんど消え、日本中、どこの海岸線でも弁才船が見られるようになりました。
帆走専用船であることと木割術の発達は、弁才船の普及に影響を与え、弁才船の普及は江戸時代の水運を効率的にしたことは過言ではないと考えられます。

北前型弁才船 「八幡丸」
福井県河野村の北前商人の右近権左衛門の持ち舟船で、写真は明治に撮影されたもので、人と比較するとかなりの大型船である事が理解出来ると思います。実は明治35年の『日本船名禄』には、1.357石と記されているが、実は2000石クラスの大型船で、当時の明治政府の政策で゛500石以上の和船は建造を禁止゛にしていたために、このような表記になっている。なお明治以後も日本海側では、このような大型の弁才船は主力商船として活躍していて、明治になると国内輸送の主力が鉄道に変わるのだが、北陸本線の開通が1913年(大正2年)と遅れたために日本海側では、近代になっても、長い間、船が輸送の主力となっていた。
今回は概略だけを話しました。次回は弁才船の構造に迫ってみたいと思います。
参考文献
世界文化社 復元日本大観 4 「船」
著者 石井 謙治/石渡 幸二/安達 裕之
法政大学出版局 ものと人間の文化史 76-T/U
和船T/U
著者 石井 謙治
展示資料図録
写真展 「和船」 〜今はなき千石船の姿を求めて〜
(財)日本海事科学振興財団
次回 3月19日 弁才船の構造をやる予定です。

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