第22回 弁才船の構造V
今回は、弁才船の乗組員の話をします。弁才船も今日の船のように、船長を中心に航海士、機関士、甲板職員などに当たるような、多種多様な人々の構成で運航されていました。

こちらが乗務員の配置になります。

船頭
船頭は現代の船では船長に当たる人なのだが、船の運航の全責任を負うのは一緒なのだが、だからといって、航海の専門家というわけではなく、船鑑札・往来手形・積荷の送状などもっており、航海だけでなく運航業務や船主に代わって商取り引きを行う責任者でもあったから、大黒屋光太夫のように商いに強い人がなる場合も多かった。また、船主に雇われた船長は「沖船頭」、「乗船頭」と呼ばれるようになり、陸にいる船主は「居先頭」で、船主兼船長の場合は「直乗船長」と呼ばれている。
船で一番偉い「沖船頭」になれるのは三役から・・・・。

楫取(かじとり)
楫取は、今日でいう航海長になる、地乗り航法の沿岸航海とは言え、航路や地形だけでなく潮流・暗礁・天候などの運航に対する並々ならぬ知識の持ち主が選ばれ、ベテランで経験豊富な船乗りが、この地位に付き、船主の下のナンバー2として、船の運航に関しての全責任を担っている。別名゛表仕゛とか゛表゛とも呼ばれ、常に見晴らしの良い船首にいる。

親仁(おやじ)
親仁は、若衆と呼ばれる゛平水夫゛操帆・操舵の指揮を取って、甲板作業全般の責任を任される役職で、稀に楫取を兼ねて航海の総指揮を取ることもあったので、ボースン(甲板長・水夫長)の役割に当たるが、地位はずっと高い。別名で「水夫頭」と呼ばれることもある。

賄(まかない)
運賃積み船だと積み荷の受け渡しだけなので、船内諸経費や港の出入り関係の出費ぐらいなのだが、買積船になると船頭・船主の商売物なので、大きな売買が伴い、仕切り書や帳簿付ける、商いの作業をする。また、これらは買積船が主軸となる日本海方面の北前商法では、より重要なポストになるため゛知工゛と呼ばれている。他にも「岡廻り」、とか「岡使い」とも呼ばれる。
これらは三役と呼ばれ、船頭に代わり、船そのものの運航を行うこともあり、この三役の中から、のちの船頭を輩出することになっている。
船の運航を行う労働者

若衆
先に話をした三役の下にいるのが、若衆又は水主と呼ばれる人達である。これらの乗組員の数は、千石積みの船には三役を合わせて、12人から15人の人数で運航されていて、三役を補佐する人も若衆の中にいる。

片表(かたおもて)
楫取を補佐して、船の航行を補佐する。

楫子(かじこ)
船の舵を動かす人。

炊(かしき)
呼んで字のごとく、船員達の食事を仕度をする係だが、若衆の中でも、一番下っ端がやるので、゛海の漢゛になるための最初の登竜門となる。
これらが船を運航する人々の概要となる。給料は天保年間の江戸〜大坂間の一年分だと沖船頭で30両、三役で15両、若衆で12両と言われるが、これが平均とは言えない、買積みや売積みだと給料体系が変わるし、距離によっても変化がある。ただ、当時の職人としては高級取りの大工は25両、手間職人が10両前後、町屋の下僕や武家の中流が、約3両だから、若干高い給与だし、航海中の食費は船主が持つわけだから、割の良い仕事とも言えなくないが、死と隣り合わせの職業であることに変わりはない。安いか、高いかも判断が分かれる職業だとも言える。
参考文献
世界文化社 復元日本大観 4 「船」
著者 石井 謙治/石渡 幸二/安達 裕之
法政大学出版局 ものと人間の文化史 76-T
和船T
著者 石井 謙治
次回は、展覧会のために11月は休ませて頂き、12月下旬ごろの予定です。また今回は、いろいろなアクシデントから投稿が遅れたことをお詫びします。
谷井 成章

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