『日本人はなぜ英語ができないか』
鈴木 孝夫(著)
1999年
岩波書店
☆☆☆☆
岩波新書の新赤版622。
本書のタイトルはAmazon等でしばしば目にしていた。ただ正直、手に取る気にはならなかった。それと言うのも、「そもそも『日本人は英語ができない』というのは統計的事実なのか?」というような反発を感じていたからだ。ところが、父の本棚に並んでいた本書を実際に読んでみると、意外と面白かった。この本、タイトルのつけ方を間違っているのである。
本書は、「日本人はなぜ英語ができないか」について論じた本ではなく、日本の中学・高校・大学で行うべき外国語教育のあり方について述べた外国語教育改革論なのである。出だしが、『
英語教育はなぜ間違うのか』(山田雄一郎 2005年 筑摩書房)、『
TOEFLテスト・TOEICテストと日本人の英語力』(鳥飼玖美子 2002年 講談社)等と酷似していたので、「英語教育の専門家による、英語教育の歪みや英語に対する世間の誤解を嘆くような内容の本だろう」と思ったのだけど、似ていたのはT章くらい。すぐに言語社会学を専門とする著者独特の議論を展開していることに気がついた。
著者の主張は明快で、明治時代と現在とでは国際社会における日本という国家の位置づけが全く異なること、明治維新に始まる英独仏語訳読中心の外国語教育は、遅れた小国が欧米の優れた技術・思想を専ら受信すべきであった時代に適応的なやり方であったこと、まがりなりにも世界の経済大国の一員となった現在求められている外国語教育は、欧米語に偏重せず近隣アジア語・ロシア語・アラビア語等を中心とした多言語による、日本の技術・思想・伝統文化についての情報発信を可能とするものでなければならないこと、そのような外国語教育は本当にそれを必要とする学生にだけ施せばよいこと、を繰り返し述べている。
著者が英米文学や英語教育そのものを専門とする学者ではないことが本書を読み応えのあるものにしているのだと思う。上記の2冊や、『
小学校でなぜ英語?』(大津由紀雄・鳥飼玖美子 2002年 岩波書店)、『
英語学習 7つの誤解』(大津由紀雄 2007年 NHK出版)、『
外国語学習に成功する人、しない人』(白井恭弘 2004年 岩波書店)等に欠けていて本書にあるのは、ここ200年程度の国際関係の歴史を踏まえた上での「今、日本という国家に必要とされている英語はどんな英語か」という視点。
年齢や経歴から考えると著者は結構な大御所のはずで、そういった人物の長所と短所が本書にも表れているように思う。長所は、戦後生まれの多くの読者が当然と思っているようなことを戦前生まれの著者は当然とは見なしていないこと。短所は、ひょっとすると著者の見解は数十年前に完成されて以来固定化してしまっているのではないかと感じさせる雰囲気があるところ。
書き下ろしのはずだが、後半ややツギハギ感を感じた。他のところで発表した文章を基に新書としてまとめ直したものなのかもしれない。ただし、著者自身がそこでの語学教育のあり方に大きく関与した、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスでの外国語教育プランについて触れた最終章(補章)が、本書を上手く締めくくっていると思う。
本文210ページ程度。

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