『英語の発想・日本語の発想』
外山 滋比古 (著)
1992年
NHK放送出版協会
☆☆
NHKブックスの654。
1989〜1991年度のNHKラジオ「英語会話」テキストに連載されていた、英語と日本語との違いにまつわるエッセイ36篇に、他の媒体で発表されたエッセイ6篇を加えて1冊にまとめた、語学エッセイ集。
英語と日本語では言語として様々な性質が異なることは自明である。しかし、これをただ単に異なっているとばかり見るのではなく、異なり方に構造が見て取れれば有益である。英語を専門とする日本語ネイティブスピーカーとして著者は、英語と日本語の言語としての基礎的な違い(例えば、英語の構造の中心には名詞があり、日本語の構造の中心には動詞がある、等)が他の様々な違い(英語の名詞には動詞的なニュアンスが取り込まれていて、日本語の動詞には行為の主体が取り込まれている、等)に派生していく様を平易な言葉で日本語話者に示してくれる。
正直、タイトルから想像した内容と若干開きがあった。英語表現と日本語表現の根底に潜む発想の違いを体系的に論じた本ではなく、比較的目に留まりやすいちょっとした違いについてのアイデアを膨らませて集めただけの軽いエッセイ。各トピック3〜4ページと文章は短くリズム良く読み進んでいけるが、逆に言うと、その程度の紙数で述べられる程度のことしか述べられておらず、議論が1冊の本として深まっていかないのが残念。
また、私自身どうしてもこだわってしまうのが、ある言語がどのような特徴をもっているのかという「言語の問題」と、その言語を母語とする個々の話者がどういう表現を好むのかという「価値の問題」、更に、どういう表現がその言語を用いた表現として適切であると見なされている(と見なされている)のかという「社会の問題」、等が明確には区別されていない点。これらがない混ぜになったまま究極的には「文化の違い」として放置されているように思う。確かに「文化」を扱う際の厄介さはこの渾然一体さそのものに由来するのだろうとは思うが、本書のようなタイトルを掲げているような本には、少しでもそこにメスを入れてみて欲しいと思う。本当に面白いのはここから始まるのだから。
そういうわけで、本書で扱われている英語と日本語の違いについてはやや距離を置いたまま読んだ。私としてはむしろ、わずか20年前に書かれた本の中の「日本語感覚」が現在の私自身の「日本語感覚」と大きく異なっていることに興味を抱いた。本書の中で「いかにも翻訳調の典型例」「これでは日本語になっていない」とされている日本語文の多くが、現在私にとって全く違和感をおぼえないようなものであったからだ。
もともとは英語についての本を読みたくて本書を読み始めたのに、読み終わった頃には「現代日本語の成立と変遷」に興味が出てきた。
本文180ページ程度。

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