『ねこは青、子ねこは黄緑――共感覚者が自ら語る不思議な世界――』
パトリシア リン ダフィー(著)
石田 理恵(翻訳)
2002年
早川書房
☆☆
Patricia Lynne Duffy, 2001, "
Blue and Cats and Chartreuse Kittens: How Synesthetes Color Their Worlds", W. H. Freeman & Co.の翻訳。
自らも共感覚者であるライターが共感覚について書いた本。共感覚という現象の紹介と共感覚にまつわる自らの想いを綴っている。
共感覚(Synesthesia)とは、通常独立したものとして感じられる2つ以上の感覚(例えば、視覚と聴覚)が不可分のものとして感じられるような現象を言う(のだと思う)。典型的な例としては、黒いインクで印刷された文字や数字に色がついて見えたり、言葉や音楽を聞くことによって色が見えたり、匂いに触感が伴ったりするのだという。また、時間が色を伴った空間として見えたりするのだそうだ(比喩ではなく、実際に「見える」のだそうだ)。共感覚そのものは19世紀半ばから記録に残っているそうだが、科学的な研究対象とされることはほとんどなかったという。現在では、大脳新皮質の、言語、記号、色、空間、等の情報処理を行う領域、あるいは大脳辺縁系における何らかの特異性によってもたらされる神経学的な現象と理解されているようだ(例えば、共感覚者が文字に色を感じているとき、色の識別を行う大脳領域の活性化が認められるらしい)。共感覚者は2000人に1人くらい存在するのではないかと考えられているそうだ。
残念なことに、妙なテイストの本に仕上がってしまっているように思う。共感覚を引き起こすメカニズムがほとんど解明されていないだけでなく、その存在すらほとんど知られていないということ、著者自身が共感覚をもつプロのライターであること、等の事情が裏目に出て、中途半端な書物に終わってしまっている。本書の各章は、著者が自身の経験談や他の共感覚者との対話、共感覚者による芸術作品について語り出すところから始まり、共感覚の主観的経験について詳しく述べ、関連する研究や専門家の考えを紹介し、それに対する共感覚者としての著者の想いを綴る、という形式で書かれている。本書全体としてこのような構成で書かれていれば良かったと思うのだが、明確なテーマの違いがない各章で毎回同じサイクルが繰り返されるため、共感覚の主観的経験、脳神経学的な解説、共感覚者として生きるということの意味、等がごちゃ混ぜになって記されているように感じた。共感覚の主観的経験を詳細に記述できるのは著者ならではであり他の本からは得ることのできない情報だと思うが、共感覚について脳神経学的に理解したいという読者は専門家の書いた本も読んでみた方が良いのではないかと思う(ただし、本書での脳神経学的な記述もかなり専門的で、脳についての本を1冊も読んだことのない読者には難しいと思う)。
個人的には、共感覚者におけるストループ効果の話が示唆に富んでいるように感じた。共感覚が単なる感覚・知覚の異常ではなく、記号・言語・概念理解を司るより上位の認知機能の謎に迫るもののように思えたからだ。また、感覚・知覚機能の障害と考えれば、自閉症スペクトラム障害との関連性にも興味をもった。
本文約180ページ。

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