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(続き)
ちょっと手厳しすぎるような気もしてきたので、少し本書の味方をすると、「乗り越えられないような問題はなく、現実に起きているどんな問題も自己成長を促すサインである」という意見そのものには根拠がないとしても、本当にそう信じて行動することによって何らかの問題の解決が促される、という可能性もないわけではないとは思う。解決できないと思い込んでしまえば対策をとらなくなるし、それでは解決できる問題も解決できなくなってしまう。どんなトラブルが起きてもめげないどころか、それを逆手にとって成長していく、というのは(松田聖子を除けば)なかなかできることではない。人はそうあるべきかもしれない。
実はこの本に書かれていることの全てがデタラメだというわけではない。対人関係において、自分が他者にとっている態度が固定化しているために、他者が自分に対してとる態度も固定化している、ということはよくあることである(もちろん、自分が他者にとっている態度が固定化しているのは、他者が自分に対してとっている態度が固定化しているからだ。つまりお互い様なわけだ)。嫌われていると思うと、たいていの人はその他者に対して親密な態度をとることができない。しかし、何故その他者がそのような態度をとっているかというと、自分が「嫌われていると思って親密な態度をとることができないから」である場合がある。そのような場合、自分自身の行動がかわることによって他者の行動もかわる、ということは大いにあり得ることである。何故、あの人は自分に対してあんな態度をとるのだろう?と不思議に思うような場合、その理由は自分自身がその人に対して防衛的にとっている態度にある場合がある。人は、自分が被害者なのだと思えば、怖ろしく冷たい態度を他者に対して示すことに抵抗を感じなくなる。そして、お互い自分が被害者だと思っている、なんてことはよくあることだ。
カウンセラー風の男が主人公の女性に、両親との関係性について考えさせたというのも、なかなかうまい。人生において最初に形成する重要な対人関係は親子関係だから、親子関係の歪みが他の重要な他者(配偶者、子ども、仕事上のパートナー、等)との対人関係の歪みに引き継がれることはよくあることだ。男の指示が、日本生まれの心理療法である内観法の手法に似ているのも面白い。また、大切な人に「ありがとう」と100回唱えろ、みたいな指示も出しているが、これも侮れない。毎日100回も唱えていれば実際に感謝の念が沸き起こってくる可能性は大いにある。心が原因で行動が結果だと考えているとビックリするかもしれないが、心が伴わなくてもある行動を実際に何回も行っていると、通常その行動の原因と考えられているよう心のはたらき(例えば、ある種の感情状態)が現れてくる場合がある。つまり、本書の指示に形だけでも従っていれば、重要な他者に対する感謝の念のようなものが実際に沸き起こってきて、彼らに対する態度のとり方といったものが実際に変化する可能性はあると思う。そのことが他者の行動を変化させることは当然あり得るから、それが両者の間の対人関係を実際に変化させることも当然あり得る。そこに何らかの問題があったのなら、それが解決の方向へ動き出す可能性も、ないとは言えない。
男がときどき認知的不協和のテクニックみたいなものを使っているのも面白い。ずっと憎しみを抱いていた父親に感謝の言葉を伝えさせるような場面で、男は女性にその行動を強制しない。強制してはダメなのだ。強制はしないんだけど、実際に行動するかどうかはあなた次第ですとか何とか言って、実際は思った通りの行動をさせている(この辺は優秀なセールスマンの使うテクニックである)。強制されたわけではないのに別にやりたかったわけでもない行動をとることにしてしまった人間は、本当は自分はそれをしたかったのではないか、そういうことをする人間だったのではないかと思い始める。何故なら、強制されたわけでもないのに現に自分はやったのだ。その行動を生み出す何かが自分の中にあったに違いない(と思い始める。これが狙い)。
というわけで、この本、泣かせる本としては、実は意外とよくできている。実用書として見ると、書いてあることに根拠もないし、この本に「人生のどんな問題も解決する魔法のルール」が書かれているとも思わない。そもそもそんなルールがあるように読者に思わせるのも望ましくないと思う。どうして僕がこのテの本を嫌いなのかと言うと、藁にもすがりたい想いをしている人を救うものではなく、単に食い物にしているように感じるからだろう(一時的に救われたような気分になることはあるかもしれないが、現実の問題の多くは解決できないだろう)。「気づき」のためのヒントみたいなものを提供するのは悪くないと思うし、この本の中に書いてあるような法則を本当に信じることによって何かポジティブな効果があるのであればそれはそれで素晴らしいとも思うのだけど、現実のあらゆる問題の原因を本人の心の中に求めることは、本当の原因がそこにないような問題の解決を大きく阻害してしまうことにも問題を感じる。何でも心の問題に還元してしまうのは、心の問題を全く考慮しないのと同様に誤りである。この辺、我ながら妙なコダワリがあって、「あなたの身の回りで起きていて解決できそうにもないと思っている問題の中には、あなた自身がそう思っていることによって実際に解決が難しくなっている問題もあるのです。だから、あなた自身の行動の仕方をかえることによって、無理だと思っていた問題の解決が案外簡単にもたらされることもあるのです」みたいな言い方だと、それほど頭にこないのかもしれない。いや、結局そういうことが書いてあるのかな?
本文約85ページ。
(怒りに任せて書いていたら、なんと6500字も書いていた。強いネガティブな感情というものの動物を行動に駆り立てる力の強さを思い知る。)

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