2011/9/7  22:15

【読書感想】In the Belly of the Bloodhound - L.A.Meyer著(Bloody Jackシリーズ4巻)その3  読書&アート

Amazon: In the Belly of the Bloodhound - Being an Account of a Particularly Peculiar Adventure in the Life of Jacky Faber

「ブラッドハウンドの腹の中〜ジャッキー・ファーバーの生涯においても、とりわけ奇妙な冒険の報告であります」

第1巻「Bloody Jack」感想

第2巻「Curse of the Blue Tatoo」感想

第3巻「Under the Jolly Roger」感想

ケイティ「みんな、あたしたちを『ダイアナたち』って呼ぶけど、訳がわかんないよ。ダイアナって名前の娘はいないのに。クリッシーとミニーとハーマイオニーとローズだよ。」

ジャッキー「ギリシアやローマやエジプトみたいな古い国には、いろんな神様がいたのよ。男の神様、少年の神様、小人の神様...女の神様もいたのよ。女の神様のひとりが、狩りの女神ダイアナで、他にも月と貞節の女神だったりするけど、絵ではいつも弓矢を持った姿で描かれているの。だから、あなたたちを『ダイアナたち』って呼ぶのよ。」

ケイティ「女の神様がいたって?」

ジャッキー「そうよ。それも、すごく強い神様ばかり。アテナは、自分に敬意を払わない男たちに雷を落として回ったし、ジュノーは火山を噴火させたり...そのうちに、神様はひとりってことになって、『父なる神』、つまり男の神様だけになって、そっから私たち女にとっては下り坂になった...私はそう思っているのだけど。」

ケイティ「へえ!」


奴隷商人に誘拐された女の子たちは、ローソン・ピーボディ女子学院の生徒であるお嬢様方だけでなく、彼女たちの世話をするためについてきたメイドが3人含まれていました。うち二人(アニーとシルヴィ)は、2巻でジャッキーがメイドをやっていた時の仲間で、貧しい階級とはいえ普通の家庭の普通の娘ですが、もう一人、ケイティ・ディールは違いました。

彼女はある日、餓死寸前の状態で仕事を求めて学校の勝手口に現れたところを、料理長のペグが受け入れた娘。フロンティアで生まれ育ったことは明らかなのですが、家族のことも、なぜ一人でボストンに戻ってきたのかも語らぬ無口な娘で、謎めいた存在なのでした。

以下ネタバレ

さて、少女たちが閉じ込められている奴隷船の船倉には、当然のこととしてネズミがウヨウヨしているのですが、ジャッキーは(少年水兵時代の知恵で)それを捕まえて、船のコックを懐柔して食べられる状態に料理してもらい、みんなの栄養の足しにしていました。

ある日ケイティが「ネズミを捕るのにいい方法がある」と、ありあわせの材料で小型の弓をこしらえ(「フロンティアで先住民に習った」というやり方で)、ネズミ狩りを始めます。ジャッキーは同じ弓をたくさん作らせて、弓矢が上手な娘たちを選んで持たせ、「ネズミ狩り隊」を編成します。

ケイティの弟子となった少女たちが、元はおっとりしたお嬢様たちなのに、だんだんケイティに影響されて無口でハードボイルドな雰囲気を身につけてくるあたりの描写が素敵すぎる。毎日弓を引き狩りをするうち、腕と脚に筋肉がつきはじめ、おそろいのハチマキの端を、誓いの印に血に染めて...彼女たちはやがて「ダイアナたち」と呼ばれるようになるのでした。

この「ケイティ&ダイアナズ」のエピソード、この巻で一番、読んでいてゾクゾクきました。ほんと、ケイティはこの巻で一番のキャラです。

そして、彼女の過去...開拓者の家族の一人娘としてフロンティアで育ったが、ある日父親が、1日雨にぬれて働いたのが原因で肺炎であっけなく急死。男不在となった家庭に「母娘を守る」と称して叔父が入り込み、まだ幼いケイティに性的虐待を始める。毎日娘がレイプされるのを見ながら何もできない母親は、神を呪い、自らを呪い、食べ物を拒否するようになって衰弱死。母を葬ったケイティは、スコップで叔父を殴り倒し、一人でフロンティアの道をひたすら東へ歩き、木の実や小動物を食べながら、餓死寸前でボストンに辿りついた...

(あ、この巻の舞台は1805年ですので、フロンティアと言ってもまだあんまり西まで行ってないのです。ペンシルべニア州西部かオハイオ州あたり。)

19世紀アメリカの開拓団と言えば、子供の頃に「大草原の小さな家」シリーズとか愛読してましたが...思えば、あのローラの家族だって、なんて脆く危険な土台に立っていたんだろう、と改めて。あの「お父さん」が、何かの拍子であっさり死んだりしたら(しかもその危険はかなり大きい)、残された妻子はまったく無防備の状態に置かれたのだなあ。親戚とか近所の別の男が「俺が守るから大丈夫」と言うかもしれないけど、逆にそいつがケイティの叔父みたいな奴でも、身を守るすべはない。性的虐待だって、「守ってやる」のだからそのぐらい我慢しろ、ってことになるんだろう。

もっとも、西部の開拓団に限らず、当時はどこだって、いやもしかしたら現代だって、多くの女が置かれている立場なんてそんなものかもしれないけど。

他の少女たちには地獄でしかない奴隷船の生活を、「ママが死んでからは、ここで過ごした日々が一番楽しかった」という彼女の言葉に胸を衝かれます。

とにかく、そんな過去から逃れてきたのに、また性奴隷として売られてゆく立場になってしまったケイティ。脱出できないなら、売られる前に自ら命を断つと決めています。「ダイアナたち」も、彼女と運命を共にすると誓ったと。しかし、ジャッキーの導きで、自分の持つ力を敵に向けて戦うことを考え始め...彼女の作る矢は鋭さと長さを増し、ネズミを殺すには強力すぎるものになってくるのでした。

冒頭に引用した女神様についての会話ですが...ジャッキーたち「ローソン・ピーボディ」の生徒は、教養の一環としてギリシア・ローマ神話ぐらいは習っているのですが、ケイティは知らないのですね。当時の西部開拓団の人々は、ほとんどが熱心なプロテスタントのキリスト教徒で、ギリシア・ローマ神話のような「異教的」なものは嫌う傾向がありました。だからケイティも、まるっきり教育がないわけじゃないけど、そういうのは教えられていない。キリスト教の「父なる神」しか知らなくて、「女の神様」という概念を初めて聞いて「へえ!」となっている。

女というものの、社会的存在としての無力さと、自然に沸いてくる個としての力、その両方を極端な形で体現しているケイティが言うからこそ、なんとも味わい深いセリフなのでした。

作者のL.A.メイヤーがパトリック・オブライアンの大ファンなのは、いろんな点から明らかなのですが、この「ダイアナたち」というのも、「オーブリー&マチュリン」シリーズの登場人物ダイアナを意識したオマージュのひとつなのかなあ、とか。考えすぎ?

しかし、ケイティはこの巻の後「やっぱり都会は性に合わない」とフロンティアに戻ってゆくからいいけれど、こんな風に目覚めてしまったあとの4人の「ダイアナたち」は、この後どうやって生きてゆくのだろう。お嬢様に戻れるのだろうか。フェミニズムなんて、最初の芽が出始めるまでにも、この後まだ100年はあるというのに...




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