2012/3/15  19:31

ひさびさに、政治っぽい話  日常雑記

ツイッターに書こうと思って下書きしたのだけど、長くなったのでこっちにした。

君が代の話、そもそものポイントは「歌うことを政治家が(歌わないと解雇、みたいに実質的権力を伴う形で)強制できるか、その強制を法制化することは憲法に照らして許されるか?」ってことだと思う。だから校長が口元を見ている、みたいな話はむしろ、いわゆるknee-jerk reactionを狙ったポイントずらしに思える。

心配なのは「政治家が強制してよい」と法的に「認められる」ことで、実際には口パクでバレないからいいじゃん、って話ではないのよね。歌わない教師が(個人の資質として)ダメ教師か否か、ということも関係ない。

橋下市長は、市役所で職員の思想調査(密告奨励)の強制アンケートというそれこそマッカーシーの「非米調査委員会」そのもののことをやろうとして、そっちの方がよっぽど憲法違反だと思うのだけど、「君が代」の話の方が反応が大きい。それは、役所に勤める人は一部だが、学校はみんなが一度は通ったことがあるので、自分の昔の経験とか持ち出して口を出したがるからのような気がする。

学校の話となると、どうしてみんな「昔、通ったことがある」ってだけで現場を知ってる気分になるのかね?まあ、それゆえ良くも悪くも感情的反応を集めやすいからこそ、橋下氏もまず学校・教師を叩くのだろう。

そっか、学校の話ならみんな感情的反応をしてくれると期待しているからこそ、自分の共通テスト政策が「壊滅的失敗に終わったアメリカの『落ちこぼれゼロ法』と内容同じ」と理性的に事実の指摘をしている報道には、「報道の自由を超えた暴挙だ!」とか怒ったんだな、橋下氏は。

knee-jerk reactionを集めやすいからわざとそこに集中する、っていうのは、アメリカだと避妊と中絶の話になるんだろうか。ちょっと前だとゲイの話も入ってたけど。それに共通するのは、基本が宗教の話ってことだよね。日本の場合も、要するに「宗教」なのだと思う。

アメリカと比較して、アメリカ人は自由の国と言われるが国旗・国歌を大事にしているよ、と言う人もいるが、アメリカの場合、個人の思想の自由、「国旗・国歌に敬意を表明しなくても罰せられない」という自由を保障しているのが憲法で、その憲法の精神を象徴しているのがアメリカ国旗・国歌なわけで。日本の国旗・国歌はそうじゃないわけで、ちょっと単純比較するのは間違っていると思う。橋下氏は日本国憲法自体を否定しているし。

むしろ、社会的意味・国民感情における位置づけとしては、日本の「国旗・国歌」のアメリカにおけるequivalentはアメリカ国旗・国歌ではなく、「キリスト教」と考えた方がわかりやすいかもしれない。日本では森元首相の「日本は天皇を中心とした神の国」発言があったし、アメリカ保守の人は「アメリカはキリスト教精神に基づいて建国された国」とよく言うしね。(<これは間違っているんだが。)

そしてやっぱり学校・教師ね。映画「ミルク」に、「公立の学校からゲイの教師を解雇する」住民投票の話が出てくる。「ゲイであることは自由だけど、子供の教育にかかわることだし、子供たちの手本になる立場だし、税金で雇われている公務員だから(本来自由なはずなことを理由にクビにしてかまわない)」という理屈。

国歌を歌わないのはケシカラン、と個人の意見で言うのはかまわないし、校長が「式典では歌え!」と言って教師が「いやだ!」とモメたりしたら、それは生徒そっちのけの対立でどっちもどっちだけど、問題は、地方自治体の首長という権力者が「公立学校では、歌わない教師は解雇します」ということ、それが法的に認められることで。それを「公務員だから」「子供たちの手本となる立場だから」という理由で、憲法上の自由を制限することを国民が認めてしまう、というのが、非常に危険なポイントである気がする。「明日はわが身」的な意味で。

まあなんでもそうなんだけどね、私は君が代なんて別段何の感情もなしにずっと歌ってきたし、機会があればアメリカ国歌だってゴッドセーブザクイーンだって歌うが、歌いたくないと思った歌は歌わなくても罰を受けない国に住みたいと思う。それに、公務員が国歌を歌うつもりがあるかどうかより、政治家が憲法を守るつもりがあるかどうかの方が大事だと思う。

と、ここまで書くと、ごく当たり前の話でわざわざ私が書くまでもないような気もしてきたが、まあいいか。




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ