2004/6/10  10:58

イエスという男  読書&アート

「パッション」の感想のところで、「私は特殊な観客」と書いたけど、これは私がクリスチャンだからってわけではないです。

一時「史的イエス研究」というのに興味を持って、少し本を読んだりしたのですが(<いえ、ホントに半可通なので、学問的なことはほとんどわかりませんが…)。

「史的イエス研究」というのは、キリスト教のドグマから離れて、ナザレのイエスという人物が本当はどういう人だったのかということを研究することです。

と言っても、資料は新約聖書(福音書)しかないので、結局は研究者の独断と偏見がかなり入ってしまうのですが。

その頃に感じた事は、「イエスはどういう人だったか」と語ることは、多くの場合「その人はどう生きたいか」ということの反映になっているのではないかな、ということです。

そして、私はキリスト教徒ではあるけれど、どちらかといえば「歴史上の人物」としてのイエスのファンなのだな、ということ。

別にこう思っている人は私一人ではなくて、いやこの考え自体、滝澤武人氏の「人間イエス」(講談社現代新書)とか田川建三氏の「イエスという男」の影響なのですが。

(「イエスという男」は、なかなか凄い本です。書いてある事に全部賛成というわけではありませんが。「人間イエス」はずっと読みやすいですけど、もしかしたら絶版になっているかも…)

こういうことを考えている観客は…まあ結構いるかもしれないけど、少なくとも多数派ではないかな、ということで。




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