☆終盤では「先手を取る」ことが大事で、それを掴むのが実戦の流れでもある。例えばこの局面で▲7五歩では△7六歩▲同金△6七銀、また▲3四歩も指したい手だがこの局面ではぬるくて、やはり△7六歩で苦しい。
<ヒント>とにかく先手を取って攻める
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☆村山聖の思い出E入門の頃
村山君は朝起きて学校に行くのだが、当時の私は完璧な夜型だったので、生活のリズムを合わすのが大変だったかもしれない。初めはきちんと通っていたが、(学校は校区から言えば遠くにあったが、養護学級に入ることで教育委員会や学校と話し合い、スグ近くの中学校に通えることになった)次第に休みも増えてきた。体調を崩して病院に通ったり、入院することもあったせいだが、もともといつしか私に合わせた暮らしでは、朝起きるのが大変である。
「もしもし、〇年〇組の村山です。今日は体調が悪いので休みます」ガチャリと電話をして、また寝床に入った。私も無理に行けとは言わなかった。
何度か友達を連れてきたことがあった。けっこう好かれていたようである。学生服に大きなカバンを抱えて通っていた姿が懐かしい。私の部屋での暮らしに慣れて来ると、夕方は関西将棋会館の道場に通っていた。当時は負け知らずで、道場のお客さんの昇級昇段のストッパー役でもあったらしい。
夕方の食事時間が来ると私の方が出向いて、二階の道場に呼びに行った。
何度か私の方が待たされたことがあって(将棋を指していたので当たり前なのだが)とうとう「コラッ!師匠が呼びに来る時間もわかっているのだから待たすのもいい加減にしろ!」と怒鳴りつけたことがあった。
それからはほぼ決まった時間になると、私を待っていたり、指していてもさっと終わらせて(感想戦をしていたみたいだ)走って来るようになった。
村山君は叱っても萎縮したり反発したりすることはなかった。どちらかいうとケロッとしていて、漫画風の柳に風の対応だったように思う。
夜になって道場が終わり、私と一緒に家にトボトボと帰るのだが、ときどき自転車の荷台に乗せたこともあった。しかしある日、自転車が後ろにそり返って(村山君の体重が増えてきたときだ)無理になってしまった。
一緒に歩いた時間がいちばん長かったので懐かしい・・今でもときどき福島や大淀界隈を散策していると思い出すのだった。
第2問解答
▲6三銀
▲6三銀が好手で、実戦は△5三角▲5四歩△6四角▲4四桂△2二玉▲3二金△1二玉▲6二銀不成と追い込んだ。

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