今週は、店舗の内装工事が追い込みで慌しいのだが、本日は、午後から茨城へ。
茨城にある、オフクロの実家では、本日、家の建替えの
「上棟」だと言うので、今年で80歳になるオフクロを乗せて茨城へ向かった。
元気ではあるものの、重ねた年齢の所為か、脚が弱って来ていて、電車などではとても帰省できない。
また、オフクロより3つ年上で千葉県佐原市、
「香取神宮」のすぐ近くに住む伯母も、数年前に連れ合いを亡くしており、子供がいない夫婦だったこともあり「足」がないと実家へ行けない・・・と言うことで筆者が「アッシー君」に・・・

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3時過ぎに現地に到着。
工事の方は順調に進んでいる。
工事の合い間を縫って足場に上がらせてもらうと・・・・。
そこには眼前に
「霞ヶ浦」
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小高い山の頂上という立地条件、そして木造3階建てという「高さ」のおかげで、住宅としてはもったいないほどの
「絶景」!。
そして、お日様が傾きかけると・・・・
あいにく、曇っていたのが残念ではあるが、なかなかの絶景を拝むことが出来た

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そして、空を見上げると成田空港に向かう飛行機も眺めることが出来る。
「オフクロの実家」とは言え、現在ではオフクロから見れば「姉妹の孫」、筆者から見れば「従兄弟の子供」の代になっており、一族ではオフクロ、そして伯母が「長老」となってしまった。
この家の子供たちは、姉が筆者の一つ上、妹が一つ下という姉妹で、特に姉の方は彼女が結婚した昭和63年以来の再会だった。
そして、近所の同年代の連中とは、筆者がガキの頃「山の中を走り回っていた」時代の幼馴染で、そんな連中との再会も味わうことが出来た。
本来ならばこの家の主人であるオフクロの甥、筆者の従兄弟は昭和57年に亡くなっており、娘の花嫁姿や孫の顔を見ていない。
男の子のいないこの実家では、姉は嫁いだが、妹が「婿様」を貰い、家督を継いでいる。
筆者、本日、初めて婿殿にお会いしたが、こんな立派な家を建てるところを見ると、この婿殿、さぞかし真面目に働いてくれているのであろう。
もし、父親である従兄弟が元気でいたならば、この日の事をどれだけ喜んだことであろうか・・・・。
ただ、以前は「農家」だったのだが、若い衆は働きに出ており、今では田んぼ・畑は人に貸している・・・と言う日本の農業の現状、そのままである。
これもまた、従兄弟が生きていたら、どうなっていたのであろうか?。

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