幼い頃、魚を飼っていた。近所の小川で捕って来た魚を水槽へ。その小川から汲んできたお水で水槽を満たしてやる。小石を敷き詰めて、水草を沈めてやったり、少し大きめの石を組んで石のトンネルを造ってやったり。水槽の中を小さな小川のミニチュアにする感覚で。
またもうひとつ理由がある。『隠れ』場所を造ってやる事である。
『隠れる』『隠す』というとひょっとすれば悪いイメージがあるかもしれない。しかし人間を含む動物にとって『隠れる』というのは非常に大切な事であり、必要な事であろう。
『隠れる』事により動物はストレスをぐっと和らげる事が出来る。24時間365日、人目にさらされ、白日の元にさらされると動物は気が狂ってしまうであろう。外に目をやると、星の数ほど『家』がある。色も形も大きさも千差万別。しかし一軒たりとも中が透けて見える『スケルトン』な家は存在しない。一軒たりとも!である。カーテンを開ければ一部くらいは外からも中が見えようが、トイレや寝室まで全てスケルトンな家は存在しない。『隠れる』事がいかに動物にとって必要不可欠かが分かるのである。
外を歩く。コンクリートで固められた小川を目にする。川底も川岸もコンクリート。当然、草も生えていない。そこを泳ぐ魚に僕は同情する。どこまで泳いでもまる見え…。隠れられないって辛いよな…。
世の中、インターネットの発達によりいろんな事が流出し、いろんな事が暴露され、白日の元にさらされる。このブログにしてもそう。公にさらされる以上、本音は隠して書いている。
不正や悪事は隠されるべきではない。しかし個人的な恋愛や情事などは暴かなくてもよかないか?個人的には大っ嫌いな『ツイッター』では何処で誰が誰と一緒に何してる、なんて書かれてる。
隠しておいてあげなさいよ。艶っぽい事の一つや二つ。偶然に見つけてしまってら見て見ぬふりも時には大事なモラルかもよ。


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